第07回
 法華津峠旧道から野福峠へ
宇和島市吉田町~三間町~西予市宇和町~西予市明浜町
 
 

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- 吉田側から入って登ると国道56号と予讃線のトンネルが見えてくる -

 法華津峠の県道が西予市と宇和島市の市道になった後、西予市が西予市側の道路拡幅工事と野福峠方面への林道の拡幅舗装工事などを断続的に行ったため、自転車で法華津峠旧道を越えることを人にすすめることができなかった。車で展望所まで上がることも宇和島市側からしか出来ない長い時期もあった。しかし、ようやく、3月末にかつての県道区間に放置されていた拡幅部分の舗装工事が終わり、また元のように法華津峠を自転車でも越えることができるようになった。拡幅工事が行われた西予市側には、旧の県道の道幅と舗装のままの部分が相当残っている。しかし、通常の注意さえ払えば、大型トラック以外、一般の通行にはまったく支障はない。一方、宇和島市側は全く旧の県道のままであり、ガードレールが所々、新しく設置されているが、維持管理はかなり、おおらかである。しかし、これも注意深く走れば、ほぼ危険はないといってよい。
 南予の峠の中でも法華津峠の景色はとびきりすばらしい。標高は四百三十八メートル。それほど高くはないが、リアス式の海岸線の地形のせいで海からいきなり標高差を稼ぐので、登るほどに足下に海、山が迫る風景が広がり爽快このうえない。

- 途中も宇和海の景色が楽しめる -

 4月8日の晴天の日に出かけた。国道56号線西予市に向って右手に国立公園の法華津峠入口という大きなペンキの看板がある。そこから細い旧の県道に入る。入口近くの竹林を過ぎると、廃車の捨て場がある。不法に投棄されたものか、許可を受けて処理場にしているものかわからないが、ナンバーのついたユニック車が作業しているから合法的なものと思われる。草に埋もれかけた道端の廃車を眺めながら、ギヤを軽くして、左右に曲がりながら登って行くと、国道のトンネルが下に見えて来る。勾配は平均8パーセントくらいだろうか。それほどきつくはない。最近の拡幅された大きな峠道を走っていると、なんとなく疲れを感じるが、この道は、道幅が狭い上、細かくカーブを繰り返して展望がよいので、自転車で走る場合には、稼いだ標高と、進んだ距離を感じやすい気がする。山側を見上げると高森山の中腹にはまだらになって山桜が所々に咲いている。20分ほど登ると、眼下にミカン山を隔てて玉津湾、その向こうに戸島や嘉島、日振島が見え、左手には鬼が城連山や、宇和島の蒋淵あたりも見えてくる。自転車を止めて写真を撮りながら、登っていく。海と逆に林の中に道が入る。勾配が心地きつくなる。左に道が曲がった先に高森山への登山口の標識がある。この道を入ると高森山を経て、尾根道を歯長峠の頂上に下り、そこから三間町の八十八ヶ所の札所仏木寺におりることができる。私はだいぶ前に、マウンテンバイクで逆のコースをたどったことがある。標識から左に折れ、さらに右に折れて、拭き出す汗を拭いながら、登っていくと左に開けた空に、法華津峠の展望所の崖先に立つ「山路越えて」の賛美歌の碑が見える。峠の入口からゆっくり40分ほどで展望所に到着した。途中で追い越していった軽自動車の人たちが展望所のベンチで、ちょうどお弁当を開いて入るところだった。私は右手の切り株の上に腰を下ろしておにぎりを食べた。
 展望所の崖の端に立つ、自然石の山路越えての碑の向こうに宇和海が一望出来る。(伊予細見 第63回「法華津峠行」参照
「山路こえて ひとりゆけど 主の手にすがれる 身はやすけし」(1番)。作詞者西村清雄は明治4年松山に生まれ、松山夜学校を創立するなど私学振興に尽した熱心なキリスト者である。手前の展望台の廃墟の前に西村のレリーフのある顕彰碑があり、賛美歌の歌詞も裏面に刻まれている。
 景色の美しさに贅言を費やすのは愚かなことだが、ここに案内した遠来の友人たちはひとしなみに季節と時刻、天候を問わずにそれなりの感懐を持って帰っていった。

- 山路越えてのレリーフ -


- 山路越えての碑 -


 しばらく休んで今日は、まっすぐ、西予市側に下る。といっても、展望所からほんのすこし旧道を登った分岐に法華津峠438メートルという錆びて朽ち果てた標識がある。そこを左に行くと、野福峠に下り明浜に降りることも出来るし、高山の大早津の海岸に降りる峠道に出ることもできる。いずれの道の展望もきわめてすばらしい。
 しかし、私は今日はまっすぐに旧県道の西予市側を下ってみた。舗装されたばかりの路面の上に昨夜の強風で飛ばされた木の枝がところどころに落ちている。途中、かつての宇和島街道を寸断した部分に、怪しげな石畳の道をつくっていたのが醜く雑草に掩われて荒れた風景を作っていた。林の中にかろうじて残る宇和島街道は、今回の拡幅工事により、頂上付近に於いては、まったく姿を消したといっていいだろう。西予市では工事の前に調査も記録もしていないという。あの直線の石畳の道が旧宇和島街道ということらしい。
 道はその少し先から、旧の県道のままの部分が二度ほど登場する。多少路面が荒れているが、問題なく走ることができた。
 旅を急ぐのでなければ、景観ということからいえば、先ほどの分岐を左に入り、野福峠に下って宇和町に入るか、高山方向への峠から久枝に出て宇和町に入るのもよい選択だと思う。
 内子、大洲、宇和と盆地が続く南予は峠の景に恵まれた所である。中でも、西予市旧宇和町は自転車のツーリングに好適な峠がたくさんある。法華津峠、野福峠、三瓶に下る峠、高山に下る峠、鳥坂峠や歯長峠、笠置峠なども加え、海と山、さらにヒンターランドの四国カルストまで含め、頭の中で走るコースを空想するだけでも楽しい。

- 明浜への下り -
 とりあえず法華津峠の自転車での通行がようやく可能になったことをお知らせしておきたい。西予市側の入口には早速、法華津峠展望所入口の看板が立っていたが、峠の錆びて朽ちた標識はそのままだ。注文をつけると、展望所の過剰な看板二つと四国の道の石灯籠はなんとかならないだろうか。便所もひどい。右手の展望台は先頃、日土小学校の松村正恒設計ということが愛媛新聞に「新発見」として紹介されていた。現状を見れば、松村でなくとも泣くだろう。記事は、松村が設計したということしか、ふれられていないが、使用不能の便所は放置されたままで廃墟に等しい。別に作った左手の粗末な便所も国立公園の便所としてはいかがなものだろう。わけのわからない看板や標識などをやたらと建てる一方で、既存の施設の維持管理がでたらめだ。亡き松村も使い捨てられた作品の残骸をさらされ、今ごろ名前まであげつらわれては、たまったものではない。いっそ、撤去を望むだろう。
 一度、道の駅の担当者に標識の無意味と思える設置や、施設の乱脈について訊ねたことがある。設置をした人々には、ビジネスとして、ルーティンワークとしての大切な意味があった。ただし、それは一般社会には通用しない内輪のことだ。日本全国の故郷の景色を口当たりのよいスローガンだけで、画一的に改竄する人たち。文化庁の指定したエリアと国交省の指定したエリアがあるということなど、責任分担の話も詳しく聞かせてくれた。そのあたりは文化庁の指定したエリアだとのこと。しかし、現状がどうなっているのかとの認識と、いかに維持管理しているかについての具体的な返答はなかった。残念である。
 それは、さておきとにかく走れるようになったので、自転車の方は、夜間や、天気の悪い時のほかは、トンネルを行くのではなく、この峠を越えることをおすすめしたい。

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