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- 今治港で御手洗港への高速船せとひめ -
9月13日日曜日に行われた、フェリーのチャーター便を使って、しまなみ海道と、とびしま海道を走るサイクリング・イベントに松山に住む友人と参加した。その1週間後の9月20日には、東京からとびしま海道を新聞の旅情報欄の取材に来た友人と今治港から、定期便の高速船を利用して御手洗に渡り、そこから自転車で川尻まで走った。
とびしま海道を訪ねるのは、春先に、一人で波方から、今は廃止になったフェリーで竹原に渡り川尻を経て、御手洗まで走って以来であった。
安芸灘とびしま海道は、「自転車の聖地」などとして注目されるしまなみ海道にくらべると、最後の橋が架橋されてからそれほど経っていないし、まだ自転車の旅の場所としては知られていないのではないかと思っていたが、とんだ考え違いだった。イベントはともかく、2度目の時も行く先々で、多くのサイクリストに出会った。自転車で旅する人たちの様子を観察すると、いかにも旅慣れた感じの年輩のサイクリストから、レンタサイクルを利用してグルーブで走る若者たちまで、実に様々であるが、それぞれにどことなくゆったりした風情があって、ここのところ自転車ブームと言われるが、それも一過性のものではなく、だんだん定着した落ち着いた流れになっているのではないかと思わせられた。
- 来島海峡大橋 -
私の二つの旅はどうであったのか。
先ず13日の参加者総数150人のイベント。松山を朝五時半に出て、受付場所の来島海峡大橋の袂にある糸山公園に六時半頃に到着した。車を置き、受付を済ませて来島海峡大橋を眺めながらおにぎりの朝食を食べた。私は約120キロ走るAコースを選び、自転車は久しぶりの友人は初心者向けのCコースに入った。私の入ったグループは、午前七時過ぎに糸山公園を出発。来島海峡大橋を渡り大島へ。アップダウンのある島の南側の道を通って伯方大島大橋を渡った。道の駅伯方S.Cパークで小休止する。ここで、隊列を整え大三島橋に向う。県道からゆるやかな登りの進入路に入り、大三島橋を渡ると、すぐに右折して少し登り、島の南側を走る海沿いの県道51号線に入った。この道は、最初は急な下り道だが、すぐにアップダウンの連続が始る。がんがん走るのは、私のような経験不足で体力のない者にはちょっときついが、マイペースで走れば、どうということはない。渡ってきた来島海峡大橋と島々の素晴らしい景色が左手に見え、自転車乗りには実に楽しい道だと思う。しまなみ海道のハイライトの一つだと言いたいくらいだ。登りになると、邪魔にならぬように、最後尾に落ちながら、ゆっくりと集団についてゆく。なんとか遅れずに、喘ぎながら登る私を、ガイドを務める今治の「山鳥レーシング」のメンバーが、「もうそこから下りですから。がんばって広島まで渡りましょう」などと励ましてくれる。彼らはボランティアでガイド役を務めているが、安全への配慮はもちろん、楽しく走るということへの気配りについても、実に的確で、親切な人たちばかりである。やっとの思いで、坂を登り切り、ところミュージアムを通り過ぎる。そしてまた下り、そしてまた、少し登って下ると道が平坦になる。なんとなく見覚えのある景色だと思っていたら、ほどなく宮浦港に到着した。ここまで糸山から約51キロ。 しばらくすると、下田港から回航してきたフェリが着いた。島の北側を走ってきたBグルーブの人と一緒に乗船し、大崎上島の木江港に向かう。船中では、下田港から乗船していたCコースの友人と再会し、お昼の弁当を一緒に食べた。昼食が終わった頃、大崎上島の木江港に船が着いた。私たちは下船し、BとCグループの人たちは、そのまま船で大崎下島の御手洗港に向かった。
- 御手洗港を出発する名古屋から来たサイクリスト達 -
- 御手洗の町並み -
- 菅原道真手洗いの井戸 -
木江港から島の北側にある大西港まで、ほとんど平坦な道を約20キロ弱走る。大西港からは定期便のフェリーで安芸津港に渡るのである。1時間弱で到着したので、定期便の出帆時刻には時間に余裕があった。水を補給したり、港の写真を撮ったりして待つ。大西港から本土の安芸津港へは30分ほど。とびしま海道の起点川尻へは国道185号線を走った。車が多いので、グルーブを三つに分け、車道の端を一列になって走る。大体、平坦な道のりで距離約30キロ。川尻から少し登って、最初の架橋、安芸灘大橋(全長1175メートルの吊橋)にさしかかる。橋を下蒲刈島に渡って、下った食堂の前の広場で小休止。以前に竹原から一人で走った時に、この店でうどんを食べたことがあった。中に入ってお土産に鯛味噌をもとめ、水筒に氷を詰めてもらった。
20分ほど休んだ後、出発。朝鮮通信使の資料館のある松濤園の前を過ぎ、トラス橋橋全長480メートルの蒲刈大橋を渡って上蒲刈島に入る。南側の海岸を走って、坂を登り大浦トンネルを抜けてアビ大橋こと豊島大橋に出る。橋長約903m。平成20年11月のこの橋の完成により7つの島が橋で繋がり、本州から愛媛県今治市(岡村島)までが道路で結ばれた。橋を渡って豊島の北側の海岸に下りる。豊島港を過ぎ、小野浦から豊浜大橋(橋長 543m、3径間連続トラス橋)を渡り、大崎下島へ。平坦な島の北側の海沿いの道を立花港、久比港と通り過ぎ、斜張橋の平羅橋(全長98.5m)、中の瀬戸大橋(ニールセン・ローゼ橋、全長251m)、岡村大橋(ニールセン・ローゼ橋、全長228m)と渡って、愛媛県今治市岡村島の岡村港に無事到着した。
前回、御手洗まで走った時はひどく急な長い坂を越えた記憶があったが、今回は海岸の比較的平坦なコースを通って、まっすぐ岡村島に入った。時刻は午後4時近くで、ほどなく御手洗から走ってきたB・Cグルーブも合流し、昼食を食べた後に一旦分かれた友人と再会した。
- 住吉神社の石の太鼓橋 -
- 松山の俳人栗田樗堂の墓 -
- 豊島の小野浦地区の秋祭り、櫂伝馬 -
岡村港から迎えに来たフェリーに乗って大島の下田港に向かう。帰りの船中では、閉会式を兼ねた主催者心尽くしの抽選会などがあった。下田港からは友人と一緒に来島海峡大橋を渡って糸山公園にもどった。Aグルーブの走行距離は約120キロ強、平均時速は約22キロほど。フェリーに乗っている時と休憩時間以外はひたすら心地よい風を受けながら走るというサイクリングに重点を置いた一日だった。多くの人と一緒に走る機会はほとんどない私にとって、焦りと緊張の時間もあったが、ガイドの方々の周到なサポートでいい経験が出来た。
友人が参加したCグルーブはサイクリングの走行距離は30キロほど、スポーツ自転車の乗り方の講習や、重要伝統的建造物群に指定されている御手洗の歴史ある町並みの散策の時間もたっぷりあり、とても充実した内容だったとのことであった。
翌週は、友人の取材に付き合った定期便を使っての旅。今治港を朝9時発の川尻行きの高速船に乗った。自転車は、200円払えば載せてもらえる。来島海峡の下を潜り、快晴の海の景色を楽しみながらの船旅だ。自転車を持って乗り込んできた人は私たち2人の他に4人いたから計6人で乗客の半ばを超える。後ろの席で3人のグルーブと同席になって話を聞いた。名古屋から車で尾道に走り、車を置いて昨日しまなみ海道を走ってきたそうだ。大三島は南側を走ってほぼ1周したり、大島の亀老山の展望台にも登ったりしたので、走行距離は約150キロほどになったと言う。昨夜は今治に泊まり、今日は御手洗まで船。そこからとびしま海道を川尻まで走って列車で尾道まで戻るそうだ。
約30分ちょっとで御手洗港に到着。友人はボランティアガイドと「潮待ち館」で10時に待ち合わせをしている。少し、時間があるので海沿いの道をポタリングして時間を過した。風も雲もほとんどない。
- 乙女座外観 -
- 乙女座内部 -
今日は、ボランティアガイドの方の案内があり、先週も、一人で走った時も落ち着いて見ることの出来なかった御手洗の町並みをゆっくりと歩いた。御手洗は、なによりも遊女が支えた潮待ちの港だったそうで、若胡子屋の豪宕な建物や海沿いの船宿が往時を偲ばせる。若胡子屋には、遊女と禿をめぐる哀切な挿話があり、ボランティアガイドの方の説明が一際熱を帯びた。外観はモダンな看板建築の芝居小屋乙女座から海岸に出て、住吉神社へまわり見事な石の太鼓橋を渡った。そこから、また山側に入って、加藤清正が築いたと伝えられる石垣のある満舟寺を訪れた。満舟寺には、一茶を温かく遇した松山の俳人栗田樗堂の墓があった。樗堂は松山に庚申庵を作ったが、俗事を離れるため、松山を去り、御手洗に来て晩年を過したそうだ。案内板には樗堂の死を伝え聞いた一茶の悲しみのこもった文章が記されていた。重要伝統的建造物群に指定された江戸時代からの町並みや、太宰府に配流される途次の菅原道真が手を洗ったという天満宮、幕末七卿落の時の宿になった家などの史跡もあった。
- 悲しい伝説が伝わる若胡子屋 -
- 浦安の舞 -
ボランティアガイドの方に教えてもらった店で穴子弁当のお昼を食べて、1時前に御手洗を出発。
友人はジャイアントのクロスバイクにのっている。自転車には自信がないというが、時速20キロの、いいペースで走ってくる。しまなみ海道と同じで、はしに差しかかると登って下るという繰り返しである。大崎下島から、豊浜大橋(平成4年11月30日完成の3径間連続トラスト橋、全長543メートル)を渡って豊島へ。ちょうど小野浦地区は秋祭りの真っ最中、そろいの衣装で港をこぎ回る櫂伝馬が港の中で、繰り広げられていた。立っていた親子連れのお父さんに話を聞くと「ぼくが子供の頃は、ほとんど中学生で漕ぎ手が揃ったけど、今は厄年の四十二歳と、あっちは還暦です」とのこと。言われてみると、少年の船は一艘だ。祭りに併せてみんなが島に帰省してくるそうだが、たいした賑わいだ。快晴の上、鮮やかな大漁旗がなびく豪壮な祭りに出くわしたのは幸運だった。しばらく見物した後、祭りの雑踏を自転車を押しながら進み、島の北側を豊島大橋 (単径間吊り橋、橋長 903m)に向う。平成20年11月に開通した、安芸灘とびしま海道で、いちばんあたらしい橋だ。急坂にさしかかるが、勝ち気な友人は顔を少し紅潮させながらついてくる。
橋の手前で小休止、橋の下の海面を疾走する水上スキーとモーターボートが見えた。
- 福島正則が築いたという雁木 -
- 安芸灘大橋 -
豊島大橋を渡り、上蒲刈島へ。アップダウンを繰り返しながら島の南側の海岸を進み、最後の坂を登って蒲刈大橋(昭和54年10月開通。3径間2連続トラス橋、橋長 480m)を渡る。急な坂を下るとすぐ「松濤園」がある。休憩をかねて少しゆっくり見物することにした。中にある朝鮮通信使資料館の御馳走一番館は、江戸時代に、下蒲刈島が藩の接待所・玄関口として朝鮮通信使を接待したのにちなむ施設。「安芸蒲刈御馳走一番」と謳われた歓待ぶりが、当時の豪華な料理を忠実に復元して展示されている。通信使の行列のジオラマ模型や、当時の通信使を再現した人形、さらに全国から収集された朝鮮通信使に関する資料などもあった。蒲刈島番所を復元した建築を含め、すべてよそから移築されたものばかりだが、当時の雰囲気を彷彿とさせる雰囲気があり、悪い感じはしなかった。蘭島閣美術館などの施設は割愛し、港の大きな福島正則が築いたという福島雁木を見ながら、安芸灘大橋(平成12年1月開通。3径間2ヒンジ吊り橋 、橋長 1,175m)をめざして出発した。といっても橋はすぐそこだ。橋への最後の上り坂の手前の神社の境内では、少年や大人たちが吹く笛の音に合わせて、巫女のいでたちをした少女たちが浦安の舞を舞っている。しばらく立ち止まって見物した後、最後の橋、安芸灘大橋への坂を登った。急坂だが距離は短い。橋を渡れば川尻町。今治に帰る船が出る川尻港は5ロほど。20分ほどで到着し、港の近くのお好み焼きやさんでビールを飲みながら、帰りの船の時刻を待った。
- 豊島大橋からの眺め -
- 松濤園。朝鮮通信使の資料館 -
二週続けて天気に恵まれ、秋祭りにも遭遇する好運があった。運行されている船の路線をうまく組み合わせれば、いろいろなコースの設定ができるし、先週のように、しまなみ海道と合せてのコースも考えられる。まだ、自転車の人は少ないのではと思っていた、とびしま街道の行く先々で自転車の旅人に出会った。自転車で走る人の姿を見かけると、どことなく心強い思いがするものだ。最後に船会社も自転車に対して、すこぶる好意的であることを言っておきたい。自転車を積み込む時に、傷がつかぬよう、潮をなるべくかぶらぬように、申し訳ないほど気を使ってくれる船員さんは少なくないのである。
〈参考〉
「瀬戸内サイクリングマップ」
しまなみ海道・安芸灘とびしま街道
(東海図版本体800円)
東ヒロユキ執筆。高低差の標示もあり、とても参考になるすぐれた地図。おまけの小冊子のサイクリング・ガイドもわかりやすいし、食べ物の情報も手軽で的確だと思う。