第03回
しまなみ海道から尾道を経て山陽道神辺へ
つづき
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鞆ノ浦
ALPSLAB route - 尾道から鞆の浦 -
- 鞆の浦の灯台 -
手前の喫茶店のコーヒーはおいしい。井伏鱒二の資料が展示してある。
- 港の雁木 -
翌朝は早起きをして、鞆ノ浦へ。尾道駅前から国道2号線を走り、松永駅の手前、末広大橋を渡り、今津町4丁目の交叉点を左折。道は何度か曲がって行くが、道標を見ながら走れば迷うことはない。尾道から14キロほど走り、藤江を過ぎてしばらく行くと、標高70メートルほどの小さな峠を一つ越える。下りきって突き当たった平迫の信号を右折、沼隈の道の駅を過ぎ、海沿いの道に出て能登守教経ゆかりの能登原へ。小学校を通り過ぎると急な坂にさしかかる。阿伏兎トンネルへの登りである。この坂は激坂だが長くはない。ひーひー言いながら上がりきると、おじいさんが自転車を押しながらのんびりと、トンネルの前を歩いていた。脇を通り過ぎる私の方を見て、「ほーっ。がんばっとるね。健康のためですか」と声がかかった。挨拶を返してトンネルへ。トンネルを抜けるとあとは下り。すぐに鞆ノ浦の入口に到着した。
- 太田家に残る保命酒醸造の蔵 -
- 鞆の浦の町並みで -
鞆ノ浦には9時前に到着した。まだ観光客の姿は少ない。太田家住宅の界隈を散策し、喫茶店に入った。店舗の真ん中の柱をカウンターが取り囲み、中がオーブンキッチンのようになっている。
若いママさんが、土地の常連さんたちに囲まれている。ジュースとトーストを注文し、遅い朝食にした。あとは町をぐるぐる周り、安国寺や太田家住宅などを見せてもらい、港の灯台前の喫茶店で11時に尾道に向かって出る船の時刻を待った。その喫茶店には、少年時代に仙酔島で夏を過ごした井伏鱒二の原稿や著作が展示してあり、コーヒーを入れてくれたおばあさんも丁寧な人で感じがよかったし、コーヒーもおいしかった。そこにも常連さんと思われる年輩の人がいて、「ほら、井伏さんが、そこに見える雁木にすわって撮った写真じゃ」とちょうど前に見える港の雁木に腰かけた鳥打ち帽を被った井伏鱒二の写真が載った雑誌を見せてくれた。その人は雁木の謂れを教えてくれた。昔は丸太の杭を互い違いに打ち込んで、その上を伝って船から丘に上がったそうだ。その杭が雁行しているので、石の階段になった後も雁木というのだという。
「もっとゆっくりきんさい」。今日は尾道まで船で帰り、しまなみ海道を走って帰るから仕方がないが、鞆ノ浦には泊まりがけで又、来たい。仙酔島にも渡りたい。
帰りの尾道への船の乗客は私一人。弁天島や阿伏兎観音、内海大橋などの景色を楽しみながらぜいたくな船旅になった。
- 太田家界隈 -
太田家は太田家住宅の一連の建物は、江戸時代中期から後期にかけて、保命酒創始の中村家によって、拡張・増築されてほぼ現在の規模になった。明治期に太田家が受け継ぎ今日に至る。建築史家太田博太郎の実家という。
保命酒は鞆ノ津だけでつくられ、売られている薬用酒で、甘くて口当たりがよく飲みやすい。
- 鞆の浦の路地歩きは楽しい -
尾道からしまなみ海道を帰る
- 尾道に帰る船からから見た鞆ノ浦の港 -
土日は尾道往復の船便がある。
- 阿伏兎観音(あぶとかんのん) -
室町時代から朝鮮通信使にも知られ、通信使の一行が海上から旅の無事を祈ったという。現在の堂は福山藩主水野勝種が、寛文7年(1667年)に石垣を築き、鐘楼や回廊をつけたもの。
尾道からは、向島まで渡船を利用した。私は尾道大橋を渡るのは一度で終わりにした。車が多く、なんとなくおっくうになったのである。渡船はほのぼのとした雰囲気があり、土地の高校生や、買い物の主婦などと一緒になると、しみじみした旅の気分がわいてくる。向島に着くと、尾道出身の映画監督大林宣彦のロケ地になったバスの待合所などがある。
大林監督の『ぼくの瀬戸内海案内』(岩波ジュニア新書)を読んだことがある。人も町も年月を重ねて顔にしわをつくる。大林は父や母の顔のしわは自分を育ててくれた記録であって美しいものだ。それと同じように、町のひび割れた瓦屋根や崩れ落ちた土塀も、そこで育った自分とともにした年月の記憶につながるものであって、いとおしく思えるのだと、少年や少女たちに語りかけるように書いている。大林の映画に出てくる尾道の風景にはこのような思いが込められている。
船着き場から少し先の、国の重文に指定されている吉原家住宅に寄ってみたが、閉まっていたので下の畑から遠望した。日曜日には公開されているようだ。水分を補給しながら、因島大橋、生口橋と渡って生口島へ。光明坊に寄った他は、ひたすら漕ぎ続け、多々羅大橋を渡り大三島へ。大三島橋、伯方・大島大橋、来島海峡大橋と渡り、糸山に帰り着いたのが午後五時前だった。今回は素通りに近い旅だったが、しまなみ海道のそれぞれの島はそれぞれ見どころが多く、それぞれ一つの島を目的にしたコース設定もできる。フェリーを使えばさらに旅の楽しみが増えるだろう。そのうち、大三島や因島だけを走る旅に出かけてみたい。
- 鞆ノ浦11時過ぎ発の帰りの船の乗客は一人だった -
- 向島への渡し -
- 向島のバス待合所 -
- 吉原家住宅 -
1635(寛永12)年に建てられた庄屋屋敷。茅葺き寄棟造で、松などの加工材を使用している。見学は、日、祝日のみ。10時から16時まで。
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