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糸山から瀬戸田港
- 瀬戸田港からは船を利用 -
自転車の追加は150円だけ。
5月末、サンライズ糸山から、しまなみ海道を経て、1泊2日の予定で神辺と鞆の浦に出かけた。
神辺で江戸後期の漢詩人菅茶山の旧宅、黄葉夕陽邨舎を訪ね、鞆ノ浦では、鞆ノ津と古い港や町並みを散策した。
糸山で10月末まで有効のしまなみ海道開通10周年記念の自転車半額通行券を売っている。2綴りもとめ、1つはすぐ取り出せるようにサドルバックに、一つはザックにしまった。食堂で水筒に氷と水を満たし、タイヤに空気を入れて、11時過ぎに出発。今日の目的地は旧山陽道の神辺である。先ず、来島海峡大橋を渡り、大島へ降りる。坂を2つ越えて宮窪へ。伯方大橋を渡り、下って登り、又下り、大三島橋の進入路へ。緩やかな登りを快適に飛ばし、大三島橋へ。橋を渡ると、道は小さなアップダウンを繰り返しながらカーブの連続である。最後に原付きと自転車の分岐を過ぎると、あとはやや急な下りである。下から上がってくる自転車があるからカーブはことのほか慎重に下る。海沿いの道に出て、2キロほど走ると多々羅大橋の入口。大きな斜張橋の多々羅大橋を降りると生口島。右回りに走って瀬戸田港に向かう。今日は瀬戸田から午後1時40分発の快速船で尾道にショートカットする予定である。橋を降りると追風で瀬戸田港には午後1時に到着した。少し時間があるので耕三寺参道の小さな喫茶店でカレーを食べた。小さなサラダがついていい味だった。船は、瀬戸田の港を出て赤橋をくぐると、沢 、須ノ上 、重井 、新浜 の港に寄って尾道まで約40分。
尾道から神辺へ
ALPSLAB route - 尾道・神辺廉塾往復 -
- 芦田川から神辺を見る -
午後2時19分に尾道駅前に着く。上陸し、駅前から国道2号線を走り、一路神辺を目指す。浄土寺を過ぎ、海沿いに走って、尾道大橋をくぐり、東尾道、松永と車に気をつけながら進む。備後赤坂を過ぎたあたりで、少し車の多さに辟易して、でたらめに左に折れた。しばらく行くと、緑の杉玉をつるした酒屋があり、ご主人が店先に立っていたので、自転車を止めて神辺に行く道をたずねた。「ほら、あそこのつきあたりのミラーのあるところ、あれが旧の山陽道です。神辺はそんなに遠くはないよ。あの道をくまっすぐ、芦田川の土手に突き当たるまで走って、そこから土手の上の道を上流に向かって走っていきゃあいい。大きな橋があるからそのあたりでまたたずねてみなさい。行き過ぎんようにね」。親切な人だった。廉塾に行くと言うと、「茶山さんのとこかね」とニッコリされた。旧山陽道は道幅は狭いが走りやすい道だった。しばらく行くと大きな川の土手に突き当たった。芦田川だ。土手の上の広い道がずっと上流に向かって続いている。車も多いが、ストレスは感じない。川沿いに追風を背に受けながら、どんどん走っていたら酒屋のご主人が心配された通り、少し行き過ぎてしまった。しかし、橋を渡って対岸の道を引き返し、通りがかったおじいさんに道を聞いたら、すぐに菅茶山記念館の場所がわかった。
菅茶山記念館
- 菅茶山記念館 -
- 菅茶山像 -
当時は広く知られた漢詩人で、儒者だった。
津田左右吉は、菅茶山の詩について、「平明の詞を以て実生活を親切に写し出し、端的の感興を有りのままに叙するところ」、人間味に富んでいるのが特色であると謂い、茶山は「情熱の人ではなく、また奔逸な空想、富膽(ふせん)な詞藻をもっているのでもないが、平坦な日常生活を落ち着いて味わった人であり、触目の光景に無限の情趣を認め、家常の些事にも深い意味を感知した、心からの詩人であり、人生の詩人である」と書いている(「文学に現れたる我が国民思想の研究」(八)岩波文庫版)。
私は一度、この田舎に住んで農民の日常生活に深い同情をよせた詩を多く書いた詩人の居宅の址を訪ねて見たいと思っていた。茶山が居宅に開き四書五経を教えた私塾は黄葉夕陽邨舎、上梓された茶山の詩集の名は「黄葉夕陽邨舎詩」。後に私塾は藩の郷校、廉塾となった。茶山のもとに滞留した頼山陽や塾頭を務めた北条霞亭については鴎外の『伊沢蘭軒』や『北条霞亭』に詳しい。鴎外は『伊沢蘭軒』を書くことを、「ヰタ・ミニマ」と言ったという。「ヰタ・ミニマ」それは流行り言葉にまでなった「清貧」などというものではなく、豊かさに満ちた、最小限の人生。鴎外は決して、へりくだって言ったのではなく、その言葉に、積極性に満ちた、真に豊かな人生を書くことについての決意をこめたのであろう。
少し迷って、たどり着いた記念館は打放しコンクリートに和風の意匠をこらした建物だった。入館は無料。人影はない。茶山と、黄葉夕陽邨舎を訪れ、交流のあった文人の墨跡や黄葉夕陽邨舎詩が展示してあった。同じ部屋に神辺出身の盲目の琴の巨匠で、独自の文字を考案して日記を残した葛原勾当や、童謡「夕日」の作詞で知られる孫の葛原しげるの展示もあった。勾当についてはやはり神辺に近い加茂で生まれ育った井伏鱒二の随筆「葛原勾当」や太宰治にも日記を材とした「盲人独笑」がある。
廉塾と黄葉山
- 廉塾の講堂、後ろの山が黄葉山。 -
- 菅茶山旧宅、「黄葉夕陽邨舎」、後の廉塾の門 -
- 廉塾の畑 -
記念館でもとめた展覧会図録の中に全国から黄葉夕陽邨舎、後の廉塾に入門した人たちの一覧表があった。さっと見ただけでも、宇和島、吉田、大洲、そして松山という伊予の各藩の出身者の名が何人か見えた。私は自転車で来たが彼らは海路と徒歩でこの地を訪れたのである。受付の青年に廉塾の場所を訪ねた。記念館の前から高屋川の土手に突き当たって、土手の上の道を行けば、大きな木が繁り、講堂の屋根が見えてくる。背後に黄葉山が見えるのですぐにわかるとのことだ。自転車でいわれた通りに見当をつけて数分ほど走ると、対岸に黄葉山を背にした廉塾の講堂が見えた。橋を渡って、講堂の少し先で、土手から下におりて、表側に回った。小さな門から中に入り、塾の畑や養魚池、建物の外観は見た。内部は予約か休日の決められた時間に見せてくれるそうだ。
廉塾のとなりの菓子屋で名物の茶山饅頭を一個買って食べてみた。白あんで思いの外、おいしい。10個かってリュックにつめた。菓子屋の奥さんに神辺に泊まるところはありますかと聞いてみたが、けげんな表情で福山にしかないでしょう、よくわかりませんという返事だった。どうも、ヘルメットに競輪のような出で立ちを怪しまれたのかも知れない。家人も家をこの姿のままで、外に出るとひどく嫌がるのだから、見ず知らずの人が宿の紹介などはしたくないだろう。神辺は、落ち着いた佇まいの町で、泊まってじっくり歩いてみたい町であった。しかし、今回は廉塾の周りや本陣、黄葉山の辺りをしばらくうろうろして尾道に戻ることにした。
- 神辺の町並み -
- 神辺の本陣の建物 -
尾道の沖縄民謡
帰りは、また道を間違えて、車の多い2号線のバイパスに入ってしまい、恐ろしい思いをした。、しかし、暗くなる前に尾道の駅前に着くことが出来て、一安心。海に向かったベンチに腰を下ろして携帯電話で今日の宿を探していると、散歩をしていた、同年輩の男性が、私の自転車を見て話しかけてきた。「どこから来た」というので、「宇和島から」というと、少し驚いた。明日、会社の同僚がしまなみ海道で今治まで往復するそうだ。自分は一人で走るのが好きだから明日は行かないが3度往復したことがあるという。ホテルは駅の向こうに見えるビジネスホテルが安いとおしえてくれたのでそこに決めた。なぜか、景気の悪い話になる。タイヤをつくっている会社につとめているそうだが、しばらく操業短縮になっていたとのこと。
- 尾道の沖縄カフェ -
ホテルでシャワーを浴び、教えられたコインランドリーへ。細い道の商店街を通って、スーバーを過ぎ、ホテルから1キロはある。しかし、すぐ隣が喫茶店、その隣がOKINAWA stylish cafe GOD SUMMER、さらに隣が和風居酒屋と3軒並んでいて、洗濯が終わるまで時間をつぶすのにはいい場所だった。 なんとなく二軒目の沖縄カフェに入った。中にお客は一人もいない。目の大きなきれいな娘さんがカウンターの中に立っていた。入口よりのテーブル席に座り、メニューを見てシークァーサー・ジュースを注文する。ここでも、どこから来たんですかと聞かれたから、宇和島だけど、自転車で今治から走ってきたというとまた、びっくりされた。三線が立て掛けてあるし、メニューも沖縄料理中心だし、娘さんもてっきり沖縄出身の人だと思っていたら、「私は沖縄じゃありません。地元です。マスターが沖縄出身」。しばらくしたらそのマスター新内昭吉さんがやって来た。三線奏者で沖縄民謡の歌い手だそうだ。入口の脇のサンシンの蛇の皮の種類を聞くと錦蛇だという。ハブのものはいまではめずらしく、いたみやすい、とても高価だそうだ。「じゃあ、せっかくだから、ちょっと聴いてみてください」。腹にぐっとくるサンシンの音色が怒濤のように響く。歌詞の意味はわからないが、明るくて、哀調のある、節回しとリズム。三曲ひいたあと、最後に徳之島の歌で闘牛の勝者だけが歌えるという歌を歌ってくれた。娘さんが太鼓を叩いて間の手を入れる。めでたく力強い歌ですっかりいい気分になった。他にお客はなく、なんだか申し訳ない気分だがとてもいいものをきかせて貰った。場所は尾道市栗原西二丁目2ー19 電話0848-24-2825。突き出しのピーナッツ豆腐もソーキ丼もおいしかった。
- 蔵寿司のこいわしのにぎり寿司 -
尾道ではYさんが推薦の「蔵寿司」という寿司屋にも寄った。若く、男ぶりのいいご主人、清潔でモダンな店内で味も悪くはなかったと思う。しばらくして、この店が紹介された雑誌を丸めた男が入ってきてとなりに座り、ページを開いてご主人に見せ、「これ大将か」と聴いた。ご主人はちょっと苦味のある笑いを浮かべて「はいっ、そうです」と小さな声で返した。その男は、「特上一つッ」と迷いのない一声を発した後、赤貝の下味のつけ方について質問を始めた。なんとなく落ち着かず、寿司の味もどうでもいいような気分になり、早めに切りあげてホテルにもどった。(つづく)
再訪 尾道の沖縄カフェ
平成22年6月梅雨の晴れ間に、伊予市から北条、今治と海岸を走ってしまなみ海道へ。瀬戸田港から18時40分の快速船に乗り、尾道に向った。自転車の私と、ダンボール箱などの荷物を抱えたお婆さんが一人。乗組員の娘さんが「おばあちゃん、朝も荷物多かったのに、またいっぱいやね」といって、お婆さんの荷物をすぐに、引き取って船内に運び込んだ。船が出る直前に、中年の女性と若い男性が乗り込んできた。船の人と顔見知りのようで、会話がはずんでいる。船の前方の窓ガラスが開放してあり、涼しい風が入ってくる。因島の港によって、また何人かの人が乗船し、40分ほどで尾道港に着いた。駅の側のビジネスホテルに入り、シャワーを浴びて、すぐに、洗濯物を詰めて、コインランドリーに出かけた。というより、昨年三線と島唄を聞かせて貰った沖縄カフェに行って見ようと思ったのである。洗濯をしかけて、迷わず沖縄カフェへ。店に入ってすぐ、この前の娘さんが「あっ、また自転車で来られたんですか」とニッコリ。今日は先客が三人。カウンターに女性が二人、奥の席にはマスターと男の人がすわっていた。オリオンビールの生と島豆腐、ゴーヤチャンプル、ソーキ煮を注文した。先客は、みなさん常連の人たちのようだが、家族的な雰囲気でこちらもなんとなく落ち着く。初めて飲んだオリオンビールの生もおいしい。
ふと、足元を見ると小さな犬がいる。のらくろのような白黒のブチで、とてもかわいらしい目をしている。おとなしい。撫でるとぺろぺろと手をなめる。フレンチ・ブルドックですかと聞いたら、「ボストン・テリア」という犬種だそうだ。そういえば、少しすらっとしている気もする。クレアという名で、九ケ月だそうだ。騒がず、吠えず。でもかわいい。うちの柴犬のシロは14歳だが既に耄碌が始り、最近はわがままで、夜鳴きをする時もある。シロもかわいいが、クレアはかしこい。
カウンターの女性が帰り際に、せっかくだから、カウンターに移られたらと親切にすすめてくれた。カウンターに移った頃に、料理か出てきた。ソーキ煮もしつこさがなく、いい味だ。島豆腐もゴーヤチャンプルもおいしい。生ビールをお代わりする。マスターがこの前に来た時のことを書いた私のブログを見たという。ありがたいことだ。にんじんしりしりの話を聞き、しりしりの調理器を見せてもらったり、クレアをだっこしたり、気の置けない常連さんたちと話したり、今回もいい時間を過させてもらった。また来たい。
翌日は、向島に渡り、因島大橋を渡って、カフェ菜の花で休憩後、生口島へ。光明坊に参って、一路今治へ。来島海峡大橋を渡り、大西駅から輪行して松山へ。ロープウェー街の喫茶店ひょんで小憩して伊予市にもどった。