第06回
 四万十川と予土線の旅
 
 

 (それぞれの写真をクリックすると大きくなります)

- 高瀬の沈下橋夕景 -

 夏の終わりから、四万十流域に出かける回数が増えた。四万十は全長も約200キロ弱と長く、流域も広い。源流域、中流域、下流域と川の様子も周囲の景色も様々に変化する。

- 四万十左岸の道は自転車に最適 -
十和村の茶畑の下の道。
 概ね、川の右岸は道幅を広げられ、近年は、大きな橋やトンネルがつくられて車が走りやすい道にどんどん作りかえられている。しかし、それでも、交通量は夏の休暇の季節の他はそれほど多くはない。トンネルの脇の旧道に入れば、昔ながらの静かな道が川沿いに続いていて、所々にある沈下橋を渡れば、左岸に渡ることも出来る。その、左岸は道が開かれた時のまま、ほぼ一車線の狭い道路が、蛇行する川に寄り添うようにして、山裾の集落を繋ぎながら続いている。道は、時に川から離れて、長い登りや下りが連続する。息を切らしながら、坂の頂上の切通しを越えると、急に展望が開け、遥か下に蛇行する川や沈下橋が見えてきたときのよろこびは何ものにもかえがたいものがある。自転車で走るのには、とびきり楽しい道なのである。

- 堂が森への渓谷沿いの道 -


- 松野町の目黒ふるさと館 -


 私は、その時々の天候や、体調、時間と相談しながら、右岸とその旧道、左岸を、組み合わせて走る。中流域の土佐大正や十和村から下流域の中村へ越える三つの峠を越えることもある。そして、最近日が短くなってきてからは、リュックに輪行袋を入れて出かけ、帰りや、途中にJRの予土線を利用させてもらう。日が落ちてから走るのはなるべく避けたいので、列車で時間を節約するのである。自転車にやさしく、車窓からの景色が素晴らしい予土線はほんとうにありがたい。

- 檮原町松原を過ぎた辺りの吊り橋 -


- 予土線土佐大正駅 -


- トロッコ列車宇和島行窪川発、土日の15時2分 -


- 口屋内の農家レストランしゃえんじり -
(方言で、家の前の野菜畑という意味とのこと)バイキング一人千円
 最近走った四万十流域のコースをいくつか、あげてみよう。 最初は源流域から中流域に下るコース。きほく町の道の駅「森の三角帽子」からスタートする。(奥に広い駐車場があり、そこに車を置かせてもらう。)道の駅の前を通る国道320号線を走り、日吉村に向う。国道をまっすぐ走ってもよいが、最初のトンネルの手前から左に入り、出来るだけ広見川左岸の旧道を走る。日吉の道の駅で小休止。スタートしてから1時間ほど、約22キロの距離である。道の駅の先の分岐を右折、国道197号線に入る。ここから、約10キロほどの登り坂である。国道をまっすぐに、行ってもよいが、私はできたら、トンネルを避けながら、国道に沿って、つかず離れずに走る旧道をたどることをおすすめしたい。ある時、思いつきで、国道を横切り、トンネルの右手に続く一車線の道に入ってみた時のことである。思わず目を疑うような、岩をはむ清流が棚田の脇を流れていた。そして、少し先の山裾には、美しく年をへた農家がゆったりとした佇まいでたっていた。まるで隠れ里に迷い込んだかのような趣であった。私は日吉村のこの近くで生まれ、生家のそばを流れる川でツガニをとったり、ハヤを追っかけたりして少年時代を過したという先輩の顔をすぐに思い出した。天気の良い時には、伊予と土佐の国境の番所跡がある高研山トンネルまでは、ぜひ旧道を行くことをおすすめしたい。道はつづらに折れながら、国道を通る車が豆粒のように見えるほどの高さまで登る。初めての時は、不安を覚えるほどだ。しかし、最後はカルストに続く新しい林道に突き当たる。そこからなおも、登って旧道を行くことも出来るが、土地の人に道が荒れていると聞いたので、余りおすすめはできない。右に折れて、一気に高研山トンネルの入口に下る。この長いトンネルの中に県境がある。所々、暗いところもあるが、交通量がそれほど多くないのでほとんどストレスは感じない。トンネルを抜けると、快適な下り基調の道がしばらくの間続く。仲間トンネルを抜け、檮原町川口で道標に従って「大正」方向に右折、橋を渡って川井トンネルに入る。トンネルを抜けると、あとは蛇行する檮原川に沿って、多少のアップダウンを繰り返す下り道を佐渡、松原と下り、土佐大正に出る。約80キロほどの走行距離になる。時間によっては土佐大正駅から自転車をたたんで予土線に乗る。土佐大正発が15時31分、次が17時23分。さらに窪川まで走ればちょうど100キロになる。窪川発の宇和島行は15時2分と16時57分。窪川まで行けば岩本寺近くの「八笑人」で蕎麦を食べて帰る。帰りの予土線は出目駅で降りる。道の駅の「森の三角帽子」までは1キロもない。窪川発午後3時2分はトロッコ列車である。宇和島からの、トロッコ列車は十川から土佐大正までわずか30分に満たない乗車時間であるが、窪川からはトイレ付き車両で、トロッコ列車からの風景が存分に味わえる。

- 四万十橋とトンネルが蛇行する川を串刺しにする -

 次は松野のおさかな館の道の駅から出発する。松野の道の駅から、橋を渡った交叉点を滑床方向に直進する。しばらく田圃の間の県道を走って行くと、登りがどんどんきつくなる。そろそろ約10%の勾配で、足がつきたくなったと思う頃に目黒トンネルの入口が見えてくる。トンネルをくぐれば急な下り坂。下りきると目黒の集落。

- 中流域左岸半家から峠を越えて十和方向に四万十川を見下ろす -

- 下流域三里の沈下橋左岸 -
ここでふるさと館に寄り、司馬遼太郎の『南伊予・西土佐の道』でも紹介された、江戸時代に宇和島藩と吉田藩の境界争いの訴訟のために作られた木製の鬼ケ城山系の立体模型を見せてもらう。今から下る、目黒川の谷筋、黒尊渓谷、反対側の宇和島城と鬼ケ城の位置関係がじつによくわかる。模型を見たあと、道を少し引き返し、目黒川に沿って下る。目黒川の清流、棚田や梨畑、後ろに聳える青い鬼ケ城連山の景色を楽しみながら、小さな集落をいくつかつ過ぎて、津野川に出る江川崎で広見川と檮原川が合流し、ここで目黒川が合流する。下流に近づくにつれ、四万十は川幅を広げてゆく。津大橋を渡り、下流に向う。しばらく走ると右「岩間沈下橋」の標識に従って田圃の方へ下る細い道に入る。沈下橋を渡って右岸の道を走る。茅生大橋に出るが、そのまま右岸を行く。道は曲がりくねりながら激しい登り下りをくりかえす。中でも、四万十ユースホステルを過ぎてからの登りはなかなかきついが、距離それほどでもないので、のんびりのぼって行くといい。下りきると口屋内の集落に出る。黒尊川の合流点で、右に上がれば鬼ケ城林道を経て、宇和島まで標高千メートルの景観を楽しみながら山越えも出来る。左に口屋内の沈下橋を渡り、左岸に出る。しばらく行くと右手に農家レストラン「しゃえんじり」がある。(0880-54-1477 営業時間 11:30~14:00定休日 水曜)昼近くにこの辺りを通る時は、ここでお昼を食べる。バイキング形式で千円。ふつうの田舎の食べ物のよさがあると思う。この頃は名前ばかりの農家食堂などというのがあるが、ここの料理は安心して食べられる。10月に食べたツガニのお汁も美味しかった。夏に東京から来て一緒に走った愚息の先輩も喜んでご飯をおかわりしていた。

- 国道439号線の檮原町鷹取付近 -
 口屋内から川登を過ぎ、三里のに沈下橋まで左岸を行く。三里から右岸に入り、また細い道を佐田の沈下橋へ。橋を一度渡って引き返し、再び右岸を下流に向って走る。短いアップダウンを繰り返すと、広い川原の堤防に出る。まっすぐ1キロか2キロ走ると四万十大橋、通称赤橋の袂である。ここは、土佐一條家の崩壊を決定づけた「渡川合戦」の古戦場だ。長宗我部元親に対し、再起を図って血戦を挑んだドン・パウロこと一条兼定と豊後大友の連合軍が最後の血戦を繰り広げ、一敗地に塗れた場所で、碑が建っている。橋を渡って左岸の中村の市街へ、かっての一条御殿のあとにある一条神社に参り、大原富枝の歴史小説「於雪」にも描かれた化粧の井戸などを見せてもらう。一條家は五摂家の名家で、室町時代最高の碩学と言われた一條兼良の長男教房が、応仁の乱の兵火を逃れて荘園のあった幡多の地に下向した。その教房の子の房家が土佐一條家の初代となり、徐々に土佐一国を支配する戦国大名となったのである。中村の町は大火に遭ったせいで、町並み自体に「京都」を思わせるところは少ないが、当代最高の知識人一条兼良の長子が下向して、京都の文化を伝えたため、学芸への嗜好や、方言、祭事などにも都ぶりの名残があると言われている。一條家とともに中村に移り住んだ京美人の末裔が多く、美女が多い土地だとも言われる。


- 北宇和郡松野町目黒の目黒ふるさと館に展示されている重要文化財(重文) -
「目黒山形模型」(同所、建徳寺所有)。
江戸時代、吉田藩と宇和島藩のの境界争いの訴訟資料として1665年、幕府の指示で両藩が作った。
イチョウ材製で、縦約1.9メートル、幅約2.6メートル、高さ約0.2メートル。境界周辺の地形を立体的に再現し、表面には山や川、地名などが書かれている。
四万十川に流れ込む、目黒川や黒尊川の様子が分かり、おもしろい

- 輪行 -
窪川発16時57分宇和島行。
各駅停車でも停車時間が短いので帰り便にいい
 来年は、明治の国家権力による稀代のフレームアップ、大逆事件から百年目の年である。中村山手通りの正福寺墓地には、中村で生まれた幸徳秋水の墓があり、側には、大逆事件の再審請求を行った坂本清馬の墓もある。山内一豊の弟、康豊の居城であった中村城跡に建つ城の形をした郷土資料館には幸徳の書や資料が展示してあり、処刑前に作った漢詩の碑も建っている。(参照:2005年5月掲載「幸徳秋水と宇和島」)
 中村市内を散策した後、帰りはまた、四万十大橋を渡って、堤防から三里の沈下橋までは右岸を走った方が車も少ないし、時間もかからない。江川崎まで時速20キロで約2時間。松野の道の駅までは、江川崎から1時間もかからない。
 最後に峠越え。窪川から越える場合と中村から越える場合とがある。
先ず、土佐一條家が開いた道といわれる堂ヶ森越えのコース。中村から。市内を出て、国道439号線を蕨岡へ。蕨岡郵便局の先の橋で川を渡って左に進む。蕨岡中学をスタート地点とする四万十ウルトラマラソンのコースと同じである。川に沿ってどんどん登り、竹屋敷、堂ヶ森の説明板のある宮の下を過ぎるとすぐ先で、集落が途切れる。谷川に沿ってさらに登る。国道で、舗装もしてあるが、一車線で、途中、鹿や猿を見ることもある道だ。さらに上ると、道は谷川から離れ、標高857mの堂ヶ森の頂上の下を、約610mの峠で越える。切通しを過ぎて下ると渓谷に沿った道になり、延々と下ると、やがて、小さな集落があらわれる。下りきり四万十川が見えてくる。川沿いにゆるやかに下る道を走り、交番の先で、橋を渡れば、土佐昭和である。
 次に、100キロを遥かに超える、ロングライドで窪川からの帰りに峠を越える場合は、打井川から山に入る。里山の美しい集落を見ながらどんどん登って、峠を越えると住次郎トンネルに下る。大正道の駅のところで橋を渡って杓子峠を越えても構わない。下って来ると住次郎で同じ道になる。中村までは、ほぼ下り。蕨岡で堂ヶ森から下った道と合流する。途中で江川崎への441号にショートカット出来るが、市街まで走って左岸を走り、三里の沈下橋から右岸を走ったほうが気持は良いと思う。

- 国道197号線の旧道日吉村付近 -


- 目黒川の流れ -


 峠越えの手軽なコースを書いておく。江川崎の川原の駐車場に車を置く。江川崎から、土佐昭和まで川ぞいに走り、土佐昭和から右岸に渡って、野々川方向に進む。四万十市への道標に従ってどんどん山に入り、堂ヶ森の峠を越え、宮の下、竹屋敷と下って、中村市街に出る。中村で昼食。四万十大橋を渡って、右岸を走り、佐田の沈下橋を見て、三里の沈下橋へ。そこで橋を渡り左岸へ。あとは左岸をまっすぐ江川崎へ。(ALPSLAB route - しまんと十和・堂ヶ森・川登
源流域にも様々なコースが考えられる。昔泊めてもらった親切な「四万十源流の家」から寺田寅彦の祖先の墓所に参り、窪川に下るのも一度やってみたいと思っている。自由は土佐の山間に発すというが、土佐の山中は人もやさしく、自転車の旅人には無類の場所である。
Copyright (C) TAKASHI NINOMIYA. All Rights Reserved.
2009-2011