第01回
 宿毛街道を走る
 
 津島町高田~宿毛市~愛南町柏~津島町高田

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- 御槙を通る県道4号線 -

 午前10時過ぎ、津島やすらぎの里から走り始める。津島高校の先、高田の信号を左折、県道4号線を岩松川に沿って東に走る。少し行くと、左手に参道に蘇鉄がある金龍寺が見える。獅子文六の小説「てんやわんや」や、随筆「田舎の句会」の舞台となった金龍寺だ。相生橋を渡り、県道からはずれて、しばらく川沿いの細い道を走る。トンネルを避けるためである。再び県道に戻り、後は一本道である。道が川にそって大きく曲がり、大河原というところを過ぎた辺りから登りにかかる。かつて馬の淵温泉だったところにある特別養護老人ホームを過ぎると勾配は徐々にきつくなるが、大きくまがりながら、登って行くので息が切れるほどではない。途中、横吹渓谷というきれいな名前の渓谷を見下ろすあたりで少し平坦になるが、またすぐに登り始め、峠のふもとから御内まで約6キロで230メートルほどの標高をかせぐ。

- 峠を上がった湿原 -


- 御槙の水田 -



- 御内で -
後ろの山は大黒山標高1105m

- 御槙小学校 -



- おじいさんと牛 -


- かつてのバス停 -



- 坂本ダムのダム湖 -

 標高約275メートほどの峠を登りきると、御内の高原が広がり、右手に池の駄馬という湿原が見える。拡幅された舗装路がまっすぐ高原を貫いて走るが、左の集落の中を通る旧道を行くと昔の宇和島自動車の御槙のバス停や郵便局がある。県道に出て中駄馬の辺りにさしかかると田圃の脇の電柱に牛がつながれていた。大きな黒牛だ。お尻のあたりに直径20センチほどハゲがある。しきりに地面を舐めているので、そばにいたおじいさんに「闘牛の牛ですか。写真撮ってもいいですか」と声をかけた。ぶっきらぼうな表情で「うんいいよ。」という。「草をたべてるんですか」と聞くと、「土を食べとるのよ」とのことだ。よくよく見ると確かに牛はあきることなく土を舌で舐めまくっている。
 篠山や鬼ヶ城山系の山々に囲まれたこの広々とした高原の田圃は田植えが終わったばかりであった。おじいさんは「ここの米は、昼と夜の気温の差が大きいから、うまいのよ」と矍鑠とした表情で話された。圃場整備が進み、田圃や畑が丹精されているのがよくわかる。道端や畑で作業をしているのはほとんど、おじいさんとおばあさんばかりである。中駄馬の御槙小学校の児童は八人とのことだった。「あんたどこから来た」とおじいさんが私に聞いた。「吉田です」。「吉田から若い夫婦がきて住んどるぞ」と言われる。以前に来た時に公民館でイノシシが減って鹿が増えたという話しを聞いたので、おじいさんにその話しをしたら、「イノシシは秋になったら、なんぼでも出てくらい」と歯牙にもかけぬ様子だった。電柱の縄をほどきおじいさんが牛を引いて帰ろうとされるが牛は踏ん張ってまだ土を舐めたそうな気配である。私は挨拶をして、また自転車を漕ぎはじめる。こわいトンネルのある黒尊への分岐を過ぎ、金毘羅、犬除を過ぎ、周囲の山々を眺めながらどんどん下ると、高知県に入り松田川の渓谷沿いを走る、心地よい道になる。高知県宿毛市橋上町出井で橋を渡り、川は道の左手になる。さらに下る笹平のキャンプ場と篠山への登山道の入口がある。2キロほど下ると道が上りはじめ、惣師橋を渡り、坂本ダムのダム湖沿いに大きなスケールの景色を眺めながらアップダウンの道が3キロほど続く。後は宿毛まで松田川に沿って穏やかな下りである。途中何度か小さな休みを入れて、1時過ぎに宿毛に着いた。

- 宿毛市出井 -
渓谷にそって走る。風が涼しい。

- 宿毛市内の林有造邸 -



- 帰りは国道56号線で -
鹿島が見えた。
 東福院の小野梓の墓や、野中一族の墓所に参り、浦田菓子店でバカヤロー饅頭や大福を買い、帰路は国道56号をまっすぐに戻った。車の数は往路に較べると格段に多いが、海の景色の美しい走よりやすい道である。4時過ぎに熱田温泉着。もちろん湯につかって帰る。

 
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