前回の最後に、僕のひとつの妄想について触れた。すなわち、神楽坂肴町にあった芸者置屋「東家」にいた咲松(御作)が、『文鳥』の「昔し美しい女を知っていた。」の「美しい女」ではないのか、という妄想である。
実を言えば、この点に関して、僕は別の、つまりもうひとつの妄想を抱いている。そして、どちらかと言うと、僕はこちらの妄想の方を本命視しているのである。
それは、『道草』に御縫(おぬい)という名で登場する女性である。『道草』は自伝的要素の濃い作品なので、この御縫にもモデルがいる。
養父・塩原昌之助と妻・やすの仲が剣呑になったのは、昌之助が旧旗本の未亡人・日根野かつ(当時二十八歳)と通じたことが原因で、結局、ゴタゴタの末、昌之助とやすは明治八年四月に離婚する。養父母の別居により、しばらくは養父の方に置かれたり、次には養母の方に移されたりした後、九歳の金之助は、塩原姓のまま、実家の夏目家に引き取られることになる。
この時の少年の心境は、後年、猫の言葉を借りて、「名前はまだ無」く、「どこで生れたか頓と見当がつかぬ」と表現されることになるだろう。夏目と塩原の二つの名前を持たされた自分の、本当の名前とは何なのか。夏目家のある喜久井町で生まれたと言われているが、生後すぐに里子に出され、そこから戻されたと思ったら次には養子にやられ、その後、養父の仕事の関係であちこちを転々とさせられた自分の、本当の生まれはどこなのか。
ところで、少年の心を暗く途方に暮れさせる直接の原因を引き起こした塩原昌之助が、離婚後に暮らすことになる日根野かつには、れんという連れ子があった。この、れんが、『道草』の御縫のモデルとされる女性である。
実生活において、漱石と妻の鏡子との間に下のような会話が交わされたのかどうかは不明だが、『道草』における健三とお住の夫婦は、ある日、別の話の流れから発展してこんなやりとりがなされる。
「御縫さんて人はよっぽど容色(きりょう)が好いんですか」
「何故」
「だって貴夫(あなた)の御嫁にするって話があったそうじゃありませんか」
この、何気なさげなお住の発言には、無理な論理と無茶な飛躍が見え透いている。が、お住の気持からすればちゃんと理屈は通っている。御縫さんはそんなに美しい人なのかと夫に質問し、どうしてそう思うのかと問い返されると、だってあなたのお嫁さん候補だったんでしょうと言う。この「だって」には、なかなか複雑な女ごころが含まれていそうだ。
まずは、健三という男が相当な美人好みで、何やかやと女の美醜に一見識を持っていることを、日頃から妻のお住は知らされている。そしてお住は、それを心良からず、時には苦々しく思っている。だから何か夫婦の間に問題が起きると、その内容に関わらず、事の最後に、決まってお住はこんな風に言う。「どうせ私は始めっから御気に入らないんだから……」。
事の本質が必ずしも女の美醜といった点にあるわけではないにも関わらず、いやむしろ、夫の健三からすれば人生に向き合う姿勢そのものに深刻な差異のあることが問題なのに、妻のお住はいろいろとあった末の結局は、いつも決まって「どうせ私は始めっから御気に入らないんだから……」に帰着させる。まるで、すべての道はローマに通ずるかのように。その気に入らない理由とは、ただただ、私はあなた好みの美しい女ではないのですから、ということになる。
そして厄介なのは、この点に関してまだ“裏”がある、ということだ。健三はお住のそうした即断を、いかにも愚かで浅はかな女らしい、狭隘で頑迷な対応と斬って捨てる。お前は俺の考えを、生き方を、この苦しみを理解しようとして近づいて来ない。何かあれば、最後には女の美醜で片づけて遠去かって行く。どこまでお前は愚かで浅はかな女なのだ。
しかし、しかしである。本当に、単純に、夫は高邁で妻は低俗なのか。また、夫は思慮深く妻は無理解なのか。恐らく、そうではあるまい。思想や人生や苦悩に心を取られてお住をろくに見ていない健三に対して、お住は健三だけを見ている。そういう妻の、女としての単純で鋭徹なまなざしが夫の真意を見抜いていないわけがない。夫の頭と、夫の腹との間には、無意識の、いや、気づいていて認めたがらない落差がある。そう、妻は確信している。
お住が、この人にははじめから気に入られていない、それは私がこの人好みの美しさを持っていないから、と強く思いこむのにはそれ相当の理由(わけ)があったろうことはまちがいない。あるいは、健三は陰に陽に、何気なく時にはあからさまに、「昔し美しい女を知っていた。」という過去の幻影を、物思いの表情の中に、またはふとした言葉の端(はし)に、表わしていたのではないだろうか。
話を御縫に戻す。『道草』での描写はこうである。
「御縫さんは又すらりとした恰好の好い女で、顔は面長(おもなが)の色白という出来であった。ことに美しいのは睫毛の多い切長(きれなが)の其眼のように思われた。」
どうだろう、この筆致は。この一文から、健三(つまり、漱石)は、御縫(つまり、れん)を、美しい女として好いていた。そう言い切ってしまって構わないのではないか。
もっとも、当の健三は次のように認識している。「御縫さんは年歯(とし)からいうと彼より一つ上であった。其上その頃の健三は、女に対する美醜の鑑別もなければ好悪も有(も)たなかった。それから羞恥(はにかみ)に似たような一種妙な情緒(じょうしょ)があって、女に近寄りたがる彼を、自然の力で、護謨球(ゴムだま)のように、却って女から弾き飛ばした。」
それはそうだったかもしれない。しかし、それは健三の頭が考えたことで、健三の腹では別の思惑がうごめいていたにちがいない。妻のお住なら、きっとそう言うだろう。
健三が十五、六の頃に、こんな思い出があった。友達を往来に待たせておいて、養父の家に寄ろうとした時、たまたま門前に御縫さんが立っていて、微笑しながら健三に会釈をした。それを目撃した友達が、「フラウ門に倚って待つ」と言って健三をひやかした。
他人から見れば、余りにもどうってことのないエピソードである。けれど、健三はこの儚げで、取るに足らない記憶を胸深く抱きつづけていたのだろう。思い出そうとすれば、いつでもすぐにでも取り出せる小さな宝石のように。
ドイツ語を習いたての友達は、フラウという言葉に単に女性の意味を託したのかもしれないが、健三はもっと強く、そのドイツ語を妻の意に解釈したかもしれない。そして、友達のひやかしを、健三は恥ずかしく、でも嬉しく、実は誇らしく感じたであろう。あるいはその時、少年の心に、妻の御縫さんが自分の帰りを門前で待っている幻影が浮かんでいたかもしれない。
御縫いさんは少尉だか中尉だかの軍人と結婚した。その新婚の家庭を、健三は一度訪れている。帰宅した夫はコップで冷や酒をぐいぐい飲んだ。健三は出前された鮨をしきりに皿からつまんで食べた。そんな二人を前に、「御縫さんは白い肌をあらわに、鏡台の前で鬢(びん)を撫でつけていた。」
たぶん、御縫さんは風呂あがりなのだろう。着物か浴衣のえりをグッと抜き衣紋にして、首すじや肩におしろいを塗っている図が浮かんでくる。しかし、チョイト待てよ、という気がしなくもない。無論、夫はいい。でも、健三の前で「白い肌をあらわに」するのはどうなのだろう。健三と御縫さんは、健三のかつての養父であり、御縫さんの母の再婚相手である島田をはさんで、なにがしかの縁を結んでいる間柄ではあるが、本来何の血のつながりもない、まったくの赤の他人なのである。その健三の前で御縫さんは「白い肌をあらわに」……。
健三と御縫さんは血縁でこそないが、それに近い、姉と弟のような、あるいはいとこ同士のような、そんな感情が流れていたのかもしれない。少なくとも御縫さんの方は、一種の狎れ狎れしさを健三に抱いていたからこそ、そうした態度に出ても平気だったのだろう。また、大のはにかみ屋のはずの健三が、あらわになった白い肌に別にあわてていないらしいことからも、それは証明されよう。
ここで、この回の冒頭に書いた僕の「もうひとつの妄想」に戻る。改めて、『文鳥』を引用すれば、
「昔し美しい女を知っていた。この女が机に凭(もた)れて何か考えている所を、後から、そっと行って、紫の帯上げの房になった先を、長く垂らして、頸筋(くびすじ)の細いあたりを、上から撫で廻したら、女はものう気に後を向いた。その時女の眉は心持八の字に寄っていた。それで眼尻と口元には笑が萌(きざ)していた。同時に恰好の好い頸を肩まですくめていた。文鳥が自分を見た時、自分は不図この女の事を思い出した。この女は今嫁に行った。自分が紫の帯上げでいたずらをしたのは結婚の極った二三日後である。」
机にもたれている後ろから、帯上げの房で女の首すじを撫で廻す。それも女の結婚の決まった二、三日後に。そんなことがあの健三に、つまりはあの金之助に、ふつうは到底できそうにない。ただ、相手が親戚といった類の女性ならば、あの健三でも、つまりはあの金之助でも、やれるかもしれない。それならば、机にもたれている女の後ろから近づくことも、結婚の決まった二、三日後に訪れることも、特別不思議なことではなくなる。
となると、「昔し美しい女を知っていた。」の「美しい女」とは、『道草』の御縫さん、すなわち、養父・塩原昌之助の再婚相手・日根野かつの連れ子・れん、ではないのか。無論、妄想だから事の事実は定かでない。
さて、『道草』ではこんな会話がなされる。
「だけど、もし其御縫さんて人と一所になっていらしったら、何うでしょう。今頃は」
「何うなってるか判らないじゃないか、なって見なければ」
「でも殊によると、幸福かも知れませんね。其方が」
「左右かも知れない」
その後に、「健三は少し忌々しくなった。細君はそれぎり口を噤(つぐ)んだ。」と文章はつづく。いくら忌々しくなったからといって、妻が自分よりも御縫さんと結婚した方が幸福だったかもしれませんねと問うのに対して、そうかもしれないと答える健三は、いかにも残酷である。そして、その残酷さに半ば以上無意識であるところに、健三の御縫に対する隠され、秘められた願望が執念(しゅうね)く生きつづけていたと言えるのかもしれない。