漱石を読む、と言っても、真っ向から漱石に立ち向かうほどの技量は僕には毛頭ない。ただ、漱石のまわりを少し遠巻きにしながら、ウロウロと歩き廻ってみたいと思うばかりだ。従って、いたって気楽な、ひどくのんびりした読みものになるだろう。いや、そうなってほしい。
誰でも漱石に近づくと、とかく肩肘張った、かしこまった文章になりがちだ。何と言ったって相手が豪いので、豪すぎるので、ついついこっちも身構えてしまうことになる。なるべくそうはならないようにしたい。が、気がつけばそうなっているかもしれない。その節は平にご容赦を。
流れの真ん中に漱石を据えながら、その連想から他の作家や別の出来事に自由に筆を延ばし、また適当に漱石に還ってくる。そんな構成で進めていきたい。だから、タイトルは「漱石を読む」ではなくて、「漱石を読みながら」とする。
漱石の小説が面白いのは、犬が西向きゃ尾は東というくらいに言わずもがなのことであるが、徒らに馬齢を重ねるにつれて、若い頃はことさらに深い関心を寄せなかった漱石の随筆や小品といったジャンルの作品に、強く心惹かれるようになった。例えば、『文鳥』である。
明治四十一年六月「大阪朝日」に掲載された『文鳥』の冒頭第一行は、「十月早稲田に移る」で、これは前年の九月二十九日に本郷西片町から早稲田南町に転居した事実に基づいている。つまり、『文鳥』という作品は新聞発表時より八カ月前の現実の出来事から稿を起こしている。そこで、当時の読者は、そして現代の読者である僕らも、これから始まる文章は本当のことが書かれているんだ、という思いで読み始めることになる。
さて、この点が後で少しばかり問題になる。が、それはもう暫しあとで。
日本の近代小説には、私小説という取扱いの厄介な代物があって、西欧的小説観ならこれはエッセイだよと断定されるものが、我が国では私小説という名の小説として通用する。日本においては事実と虚構の境が甚だ曖昧なのだ。その点、漱石は極めて意識的な作家であり、小説とは虚構であると考えていた。あの自伝的作品『道草』ですら、歳月の処理において大胆な虚構化を図っている。
従って、形式というものに高い価値を置いていた漱石は、小説が虚構なら、随筆は事実である、そのように明確に意識して筆を起こしているはずなのだ。そう、そのはずなのだ。
少し横道に逸れた。『文鳥』に戻る。引越しをして新しくなった部屋を見て、鈴木三重吉が文鳥を飼いなさいと言うので、漱石は承知して五円札を渡す。秋が小春になり、やがて初冬になったある晩、三重吉はやっと文鳥と籠と箱を持って訪れる。その夜から、一羽の文鳥が漱石の書斎の住人(!)となる。
どうやら小鳥を飼ったのは初めてらしく、漱石は作家の眼を以てその姿、色、生態を興味津々に観察する。「文鳥の目は真黒である。(略)文鳥は白い首をちょっと傾(かたぶ)けながらこの黒い目を移して初めて自分の顔を見た。そうしてちちと鳴いた。」
白い首をちょっと傾けて、黒い目でこちらの顔を見ながら小さく声を発した、と漱石は書く。無論、文鳥が、である。しかし、無論、などと言い切れないものがありはしないか。
少し前に僕は、文鳥は漱石の書斎の住人(!)になった、と書いた。少しばかり先走ってしまえば、どうやら住人のあとに付け加えた(!)のマークは不要のようだ。
連夜の執筆で遅く起きた朝、気の毒がりながら箱から籠を出してやる。すると、「籠が明るいところへ出るやいなや、いきなり目をしばたたいて、こころもち首をすくめて、自分の顔を見た。」
そのあと、改行してすぐに、「昔美しい女を知っていた。」という文章がくる。いきなり、である。唐突に、である。これにはかなり驚かされる。そして僕なぞは思わず、凄い、とうなってしまう。
前述したように、『文鳥』は随筆である。少なくとも漱石はそう意識してこの作品を書き始めたはずである。それでいて、ここへ来て、いきなりの、唐突の、告白である。
「昔美しい女を知っていた。この女が机に凭れてなにか考えているところを、後ろから、そっと行って、紫の帯上げの房になった先を、長く垂らして、頸筋の細いあたりを、上から撫で回したら、女はものう気に後ろを向いた。その時女の眉はこころもち八の字に寄っていた。それで目尻と口元には笑いが萌していた。同時に格好の好い頸を肩まですくめていた。文鳥が自分を見た時、自分はふとこの女のことを思い出した。この女は今嫁に行った。自分が紫の帯上げでいたずらをしたのは縁談の極った二、三日あとである。」
何という瑞々しさ。何という艶っぽさ。そして、淫らで不道徳なまでのそのエロティシズム。縁談が決まったあとに、よそに嫁ぐ女のくびすじにいたずらをするなんて……。
はたして漱石は小説の中でこんな場面を描いたことがあったかしら。それにしても漱石はなぜ、虚構に仮託できる小説という形で表現せず、事実を前提とする随筆の中でこれを告白したのか。
このあと、文鳥のしぐさの一つ一つに漱石は女を見る。もう、文鳥は女である。女は文鳥である。
文鳥は時々首をのばして籠の外をのぞく。するとそれが、「昔紫の帯上げでいたずらをした女は襟の長い、背(せい)のすらりとした、ちょっと首を曲げて人を見る癖があった」という風に見える。
また、如露で籠の上から水をかけてやると、文鳥は絶えず目をぱちぱちとさせる。それを見ると、「昔紫の帯上げでいたずらをした女が、座敷で仕事をしていた時、裏二階から懐中鏡(ふところかがみ)で女の顔へ春の光線を反射させて楽しんだことがある。女は薄紅くなった頬を上げて、繊(ほそ)い手を額の前に翳しながら、不思議そうに瞬(まばたき)をした。この女とこの文鳥とはおそらく同じ心持だろう」という風に感ずる。
漱石が『文鳥』と題した随筆を書き出すにあたり、「昔紫の帯上げでいたずらをした女」のことを、はなから書くつもりでいたのか、あるいは書き進めるうちにフイと心が衝き動かされて飛び出してきたのかはわからない。が、おそらく後者だろう。文鳥という小さく儚い無邪気ないきものを凝視している中で、自分も意図しない自然な連関で女のことが浮かび上がったのにちがいない。それがあの「昔美しい女を知っていた。」という、ちょっとせっぱつまったような、まるで荒い息が聞こえてきそうな、直截で簡潔な告白ぶりに表われていないか。
ところで、昔紫の帯上げでいたずらをしたこの美しい女は、本当に実在するのか。それは一片の虚構もない事実そのままなのか。だとすれば、それは誰なのか。何という名で、漱石とはどういう関係なのか。けれどもあるいは、随筆という形を利用した、巧みに巧んだ虚実ぎりぎりの表現なのか。
この稿を書き始めるに際して、その点が問題であるという意識が僕にはたしかにあった。しかし、書き進める中でその問題意識はどんどん薄れていった。まっさらなまじり気のない事実かそうでないのか、それはどちらでもいいのではないか。漱石が「昔美しい女を知っていた。」と書いたのだ。だから、たしかに漱石は昔美しい女を知っていたのだ。
仕事の忙しさに漱石がかまけたのと家人の不行き届きから、「文鳥は籠の底に反っ繰りっていた。二本の足を硬く揃えて、胴と直線に伸ばしていた。自分は籠の傍(わき)に立って、じっと文鳥を見守った。黒い目を眠(ねぶ)っている。瞼の色は薄蒼く変わった」。
あえなく文鳥は死んだ。昔紫の帯上げでいたずらをしたあの美しい女はどうなったのか。漱石は何も書いてはくれない。