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第77回 「東京の坊っちゃん」〈その19〉
文/井上 明久


 「赤シャツか……か」
「そうだ、赤シャツだ」
「成程、そう言われてみれば、四国の中学で校長のタヌキから、こちらが教頭の**さんで学士でいらっしゃいます、と紹介されのを思い出した。タヌキの野郎が余んまり有り難そうに学士でいらっしゃいますなんて言うもんだから、こっちはそれが頭に来て、学士教頭の名前なんぞ碌に聞いちゃいなかったが、幽(かす)かな記憶をたどれば花房章二郎、ウン、そんな名前だった様な気もする」
「君なんざあ、その名前を聞いてまだ一年も経っちゃあいないが、おれなぞはもう何年も経つ。だから、君と違って忘れていても当然なんだ」
 山嵐の奴、変な先輩風を吹かしやがった。おれが先刻(さっき)言った、ハイカラ野郎云々と、オッタンチン・パレオロガスの、二度に渡る罵詈(ばり)攻撃が余っ程効(き)いたと見える。碌な理屈にも合わない変梃輪(へんてこりん)な弁解をしたりして。ま、その辺が山嵐の可愛い所で、とおれは余裕を持った。そこで少し優しく、水を向ける。
「それにしても……」
「何だい?」
「花房章二郎たあ、まるで女形(おやま)の役者めいた名前じゃねえか」
「違(ちげ)えねえ。道理であんな妙に女の様な優しい声を出すんだ」
「ニヤけた野郎にはニヤけた名前で、赤シャツにはピッタリお似合いってとこだ。その店、お……」
 と言いかけて、慌(あわ)てておれは口を噤(つぐ)んだ。その点、おれや君は男らしい立派な名前で、赤シャツめ様(ざま)あ見ろ、と言うつもりだったのだが。山嵐はいい。堀田武士。如何にも会津っぽらしいおとこらしく堂々とした立派な名前だ。いつだって、どこに出したって、胸を張って名乗れる名前だ。けれど……。
 そりゃあ、おれの名前だって大したものなんだ。多田の元は旗本で、本来は旗本の元は清和源氏で、多田の満仲(まんじゅう)の後裔(こうえい)なんだ。行輝(ゆきてる)だって、それだけを取り出せば高貴を感じさせる光輝あふれる名前じゃないか。ただ、しかしだ。多田と行輝を繋(つな)げると、ただ生きてる、になってしまう。山嵐と違って、どこへ出しても恥ずかしくない名前という訳にはいかない。
 現に、この共立学校での最初の時間に、面皰面(にきびづら)の小汚い生徒共から、鬼の首でも取った様に、大合唱で囃し立てられた。カアッとしたおれは、箔(はく)を取り返そうと、多田は多田でもおれの先祖は多田の満仲だぞと、言った所で無知で無能で無学な連中にはかえって火に油を注ぐ様な、言わでもの余計な事を言ってしまった為、饅頭先生なぞという有り難くもない仇名を付けられた。
 これもおやじの無鉄砲な考え足らずの頭が、字面もよくよく確かめずにおれに行輝なんて名前を付けるからこういう事になるのだ。親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしているが、名前ばかりは、正真正銘の文字通りの親譲りで、それも揺籠(ゆりかご)から墓場まで付いて廻る一生もんで逃れようにも逃れられない。背負(しょい)いたくもない、飛んだ損をしたものだ。
 花房章二郎という名前から思わぬ方へと思いが行ってしまった。気分を変える事にして、故意(わざ)と大きな声を出して山嵐に言った。
「ところで、赤シャツはこの学校に君やおれがいると知ってて来るのか」
「そりゃあ、知らぬはずはあるまい」
「となれば、敵ながら勇敢な行為じゃないか。赤シャツにしては、見上げたもんだよ屋根屋の褌(ふんどし)だ」
「しかし、あの奸物だからな、何を考えているやら。それにおれたちから玉子をぶつけられた事はよもや忘れてはいまい」
「もしかして、野だいこも一緒か」
「当りき、車力(しゃりき)、車引きよ」
「この野郎、会津っぽのくせして江戸っ子のお株(かぶ)を奪う様な口をきくねえ」
 
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