第61回 「東京の坊っちゃん」〈その3〉
文/井上 明久
- 子規の叔父加藤拓川の墓がある松山の相向寺 -
碑銘は「拓川居士骨」。
マドンナの小癪な思い出がチョイト頭を過(よ)ぎりかけたが、慌ててそれを打ち払った。柄でもない。何の為に二つの眼ン玉は前に付いている。前へ、前へ。それがおれだ。
小川さんは少しも変わっていなかった。もっとも、街鉄の技手におれを周旋してくれた時に会ったのだから、まだ半年チョットだ。そんなに変わり様もある訳はないか。
いやいや、そうとばかりも言えまい。小川さんはおれのおやじと同い歳なのだから、もういい歳だ。半年の内にガクッと老けたり、病気になっていてもおかしくない年齢(とし)だ。変わらずに元気な小川さんとこうして対面していると、鳴呼、この人がおれのおやじであってくれたらと、ツイツイ思ってしまう。これは小供の時からのおれの想いだ。
それが奥さんから言わせると、頑固で偏屈で図鯔(ずぼら)で荷厄介なだけの、甲斐性なしの唐変木というのだから、恐れ入谷の鬼子母神をずうっと通り過して、三ノ輪か千住といったところだ。なあーに、男のおれから言わせてもらえば、小川さんは紛れもなく、人物だ。おれのおやじなんかとは、月とスッポン、敵とニッポン。大したものだ。
ただ、お金に縁が深い人ではない。矢来町のこの御宅だって当然ながら借家だし、造作だって立派というには程遠い。生活も外目からは随分と倹約(つま)しいものだ。それだってイザとなればこんなおれ如き者に仕事を周旋してくれる力はあるし、それにおれなんかには薩張(さっぱり)だが、学問の世界じゃ陰ながら相応の評価も得ているという。
けれども、この陰ながらってとこが、奥さんなぞには甚だ物足らないのかも知れん。非道(ひど)く不満なのかも知れん。奥さんに限らず女というものは、男にしろ世間にしろ、表面しか見ないから困る。困るばかりでなく、実に以て怪(け)しからん。
マドンナがうらなり君を振って赤シャツなんぞにいい顔をしたのも、マドンナがうらなり君の表面だけを見て、その中身をチャント見ないからだ。彼様(あん)ないい青年は滅多にいない。親想いで、誠実で、大人しくて、根ッからのお人好しだ。一体、何処に何の文句があるってんだい。文句があるなら、こちとらに持ってきやがれ。倍にして、熨斗(のし)を付けて、風呂敷に包んで返してやらあ。
兎角(とかく)、男から見て申し分ない好漢が女からは見向きもされず、男がどうにも感心しない豆腐の腐った様な奴に女が夢中になるというのが、何とも解(げ)せない。どうにもこうにも女は浅墓、赤坂、浅草だ。
いかん。話があらぬ方へ逸(そ)れた。どうも小川さんのこととなると、おれはムキになっていけない。ムキになるとか、カッカするとかということから最も遠い人が小川さんなのだから。どうしたら斯様(こん)な境地になれるのか、全く羨ましい。短気で辛棒がなく無鉄砲ばかりしているおれには、日暮れて道遠しか。
もっとも、これ又、小川さんがいない時の奥さんの陰口だが、奥さんに向かっては小川さんもちょいちょいムキになったりカッカしたりするらしい。そんなものはあたしに向けないで、お金儲けの方に向けてくれたら嬉しいのにね、というのが奥さんの弁である。
成程、家に居て四人だか五人だかの小供を次々と産み、次々と育てている身の奥さんからすれば、それぐらいの愚痴の一つや三つや十くらい言いたくなるのも理解(わか)らないこと
はない。しかし、奥さんは小川さんを毎日飽きる程に見慣れているので、かえってその立派さを見過ごしているに違いない。
おれなどは未だ世間に出たと言える程に誇れる経験もないが、この広い世の中に、小川さんの様な高潔で、それでいて小供っぽい純真さを併せ持った人格の人なんて極めて数少ないだろう。大抵は下種で、卑劣で、やっかみ持ちで、人を陥れることばかりを考えている輩ばっかりだ。哀しい哉、おれのおやじや、おれの兄もそんな連中の一人だ。
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