2005年03月号 掲載
東京小松便の機上から見た富士
明治二十五年の秋、二十五歳の子規は旅の旅の旅をしている。東京を出て大磯に滞在した後、国府津、小田原を通って箱根湯元に着く。
「湯元に辿り着けば一人のおのこ袖をひかえていざたまえ善き宿まいらせんという。引かれるままに行けばいとむさくろしき家なり。前日来の病もまだ全く癒(い)えぬにこの旅亭に一夜の寒気を受けんこと気遣(きづか)わしくやや落胆したるが、ままよこれこそ風流のまじめ行脚(あんぎゃ)の真面目なれ。
だまされてわるい宿とる夜寒かな」
昔の旅では旅館を予約するということはまずなかったろうから、たいていはその宿場なり町なりに着いて、客引きの言葉やあるいは自分の目で判断して一夜の露をしのぐということになる。その判断が正しくて心地良い夢路をたどることもあれば、スカを食らって朝まで輾転反側(てんてんはんそく)することもある。湯元での子規は後者だった。よっぽど客引きの口舌(こうぜつ)が巧みだったのだろう。
しかし、旅を生きる、いや、生きることを旅する子規のことだ。宿のむさくるしさも、病後の体には良くない寒気も、ま、ちょっとは愚痴ってみても、ままよ、それが旅なんだ、それが生きることなんだ、そしてそこにこそ俺が求める俳味があるんだ、とすぐに気持を切り替える。
従って、「だまされて……」の句も、だました相手を恨(うら)む思いはおそらくさらさらなくて、だまされた自分をちょっと苦笑いしながら、まあこれもいいじゃないか、ここにも味わうべきものはいっぱいあるんだから、という気分を感じる。
実際、旅をしていると予期せぬことにあれこれ出くわす。昔は昔で多かったろうし、今は今で昔にはなかった新しい種類の予期せぬことが増えているだろう。予期せぬ好ましいことの場合はいいとして、予期せぬ好ましからざることが起こった場合、それをどれだけ受け容れることができるか、そしてできればより積極的に、それをどれだけ楽しむことができるか。おそらく、そこに旅の神髄があることはまちがいない。ただ、なかなか容易なことではないのだが。
もっとも、そこで大事なのが想像力というやつで、過去の旅を思い浮かべてみるといい。何の支障もなく、淀みなくサラサラと流れるように済んでしまった旅よりも、何か予期せぬことに出くわしてとまどったり、悩んだり、心細くなったりしたような旅の方が、ずっとずっと旅をした実感が強く、後になっての思い出も深いのではないだろうか。
その意味では、旅は重ねた方がいい。旅をすればするほど、どんな旅がいい旅で、どんな旅がつまらない旅かわかるようになってくる。旅の神髄に少しずつ近づいていくことができるようになる。もっとも、近づいてはいけるが、到達することはできそうにない。
あるいは、西行や芭蕉のような人はそこに到達したのだろうか。それとも、あの人たちにしてもまだ到達への途次だったのだろうか。子規は無論、その途次だった人だ。まだ歩き始めたばかりといったところで、歩くことを断念させられた人、それが子規だったのだから。けれどももし西行や芭蕉ほどの年齢を生き、しかも歩くことが可能だったら、おそらく子規は旅の神髄に限りなく接近できた人だったのではないか。そんなふうに思えてならない。
しかし(と、あえて結論めいたことをここで述べてしまえば)、その早すぎる晩年においてある意味で子規は旅の神髄に限りなく近づいていたのではないか。極めて苛酷な運命に見舞われながら、苦悶と悲痛の果てに訪れる僥倖をかいま見る中で、子規は子規にしかできない旅を、誰よりも遠く、誰よりも深く、していたのではないか。
歩けなくなっても子規は死ぬまで旅をした。物理的には極く限られた空間ではあったが、精神的には無限の広がりを持つ空間を子規は旅をした。病牀六尺という旅を。
(この項、続く)
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