2005年01月号 掲載
鬼子母神
先日、静岡県の三島市を訪ねた。実にいい街だった。
三島の街を歩く喜びはいくつもあるが、中でも次の二つが大きい。一つは水路であり、もう一つは言わずと知れた富士山である。
街の景観にとって川、すなわち水の存在がいかに大きいかは常々感じていることではあるが、三島を歩いてそのことを改めて強く実感した。街なかを美しい川が流れている、それだけでその街は一級品の風格を漂わせているように思えるのだ。
桜川、源兵衛川、御殿川、蓮沼川(通称、宮さんの川)が三島の街を貫流していて、歩く先々でせせらぎの音を耳にすることができる。これは誠に風流だ。
もっとも、これらの川も一時は汚染が激しく見る影もなかったということだが、市民を中心とした熱心な活動の結果、清く澄んだ水を取り戻すことができたとの話だ。
三島駅から三嶋大社へと向かう道の途中は、桜川に沿って柳並木のつづく風情ある道である。
そしてその道の片側には、三島にゆかりのある文学者の碑が、「水辺の文学碑」として並んでいる。宗祇、若山牧水、窪田空穂、太宰治、井上靖などがある中に、我等が正岡子規先生もちゃんとある。
子規の石碑には、次のような文章が刻まれている。
「三島の町に入れば小川に菜を洗ふ女のさまもややなまめきて見ゆ
面白や どの橋からも 秋の不二」
計らずもここに、さきほど僕が言った三島の街を歩く時の、二つの大きな楽しみが揃って表現されている。
無論、水と富士である。
三島に入って、子規が最初に目にしたものは、どの川かはわからないが優しい音を立てて流れている美しい小川だった。そしてその川で、ひとりの女が夕餉に使う野菜を洗っていた。水と女、その一幅の組み合わせの妙に、旅の途次の子規は思わず立ちどまったにちがいない。
女はたすきがけをしていたかもしれない。ゆるやかな流れの水の中に、着物の袖からこぼれた女の白い腕が伸びやかにさし出されているさまを見て、子規はなまめかしさを感じたのである。
因みにこの時、子規二十五歳の秋。
そんな女のなまめかしさは、いつまでも見ているものではない。一瞬で充分である。いや、一瞬こそが永遠なのである。
だから、子規は目を上げる。すると、そこには当たり前のごとく富士山が見える。そう、三島ではあの富士山が当たり前に見えるのだ。他処から来た者にはこれほどすごいことはない。驚きであり、喜びである。
面白や どの橋からも 秋の不二
変に巧んだところのない、素直な、すっきりとした句調は、富士山のように大どかな感じがして好ましい。
「どの橋からも」という表現からわかるように、三島には川がたくさんあって、そこに橋がたくさん架かっている。ちょっと歩いて橋の上から富士を見る。またちょっと歩いて別の橋の上から富士を見る。そしてまたちょっと……。そんなふうに、街のいたるところから富士が見えて、その富士の姿が歩くにつれて少しずつ違っていて、そのことに子規は面白さを感じたのにちがいない。
ただ残念なのは、子規が旅した明治二十五年から百年以上経った今では、さすがに「どの橋からも」というわけにはいかなくなっている。
それでも、四ツ角に出たり、家並みが低くなっているところから、思いがけずふいと、びっくりするほど大きな富士の麗姿が眼の前に飛びこんでくると、深い感動を覚えずにはいられない。
(この項、続く)
Copyright (C) AKIHISA INOUE. All Rights Reserved.
2000-2008