2003年07月号 掲載
第一章 逢初橋(つづき)
根津権現
この点についてはMもいつになくしおらしい。しかし次のNの質問で、またいつもの意気軒昂なMが盛り返してくる。
「それで、常さんの処女作はその言文一致なのかい」
「いやいや、そんなやわなもんじゃござんせんよ。何せ相手はあの蝸牛だ。神韻縹渺として剛毅孤高な蝸牛張りの文語体で対抗しているさ。ま、言文一致じゃまだまだ学ぶ余地はあるが、文語体と来れば恐れるところはないからね。そういう金さんだって、実は同んなじだろうが」
「うん、僕もどうも言文一致というのには馴染めない。四角い文字だけを見ている方がどれだけ落ち着くかわからない」
「ああ、その通りだ。全くその通りなんだが、しかしだな金さん、そうとばかりは言ってもいられないんだ。いいかい、俺たちは何と言っても新時代の若者なんだ。これだけ大きく御時世が変わったのに、そう後ろ向きでいていい訳がないじゃないか。確かに俺は今度の作品を文語体で書いた。しかし、それには二つの理由がある。一つは、芸術作品としての完成度を極限まで追求するためには自分の持っている最大の能力と最高の技術を用いる必要がある。それが現段階においては文語という道具であるということだ。もう一つは、蝸牛の処女作と真っ向う対峙するためには、この場合、どうしても蝸牛と同じ文語体を使ってなおかつそれを凌駕する必要があったということだ。つまり、ここでの文語は決して懐古的で後ろ向きなものではなく、むしろ戦闘争で前向きなものだってことだ」
「何だか政治少年復活すって感じだな」
「冗談言っちゃあいけませんよ。文学も政治も根は一つ。革新だよ、革新。さっきも言ったが、新時代に生まれた我々は後ろを向いては駄目なんだ。どんどん何事をも革新していかなければいけない。無論、言文一致もそうだ。我々の手でこの生まれたばかりの赤子を立派に育てあげる必要があるんだ。そうは思わないか、金さん」
Mの勢いに少し気圧(けお)されたのか、Nはそれに答えず黙ったままだった。
二人は団子坂の上に来た。坂はさほど広くない。根津の通りに向かって右に折れ曲がりながらかなりの角度で下っている。秋に菊人形の店が櫛比する時期の猥雑な華やかさに比べると、まるで田舎道のような閑散さである。
団子坂を下りきると、二人は根津の通りを渡ってそのまま真っ直ぐに進む。すぐに小さな川が流れているのにぶつかる。藍染川である。そこに小さな石橋が架けられている。粗末な橋台に彫られた逢初橋という文字がほとんど摩滅しかかっていて、そうと知っている者にしかその名を読みとることはできない。それほどに逢初橋の三文字は、あえかで、儚い。
半歩ほど先を歩いていたMが立ち停まったのを見て、Nも足を停める。
若い女が小川の向こう側から橋を渡ってくる。
Mの方は下宿に置いてきた創作の世界に一瞬思いが戻っていてボンヤリとしていたし、Nの方は団子坂を下る時から地面ばかり見て歩いていたので、さして広くもない川幅の向こうから若い女が近づいてきていることに、直前まで気づかなかったのだ。
二人は橋の手前で左側に数歩、脇に退(の)いて、女が橋を渡りきるのを待った。冬枯れの灰色の景色の中で、女の、紺地に朱色の細い縞目が入った着物と浅黄色の帯とが、鮮やかに浮き出て見える。そして、細い肩にかけられた白い毛糸の肩かけが、肩に降り積もった雪のようにも、あるいは背後から射してくる光のようにも見える。
橋の中ほどで、女の黒い大きな瞳が明らかに動いた。女の視線は真っ直ぐにNに向かっていた。
先にMがそれに気づいた。Nは女の視線は感じたが、まさかそれが自分そのものに向かっているとは思うことはできず、自分の背後に何かあるのかと訝った。けれど、どうやらそうではなく、女は自分のことを見ているのだと漸(ようよ)うNは悟った。
元来、Nにはそうした消極的なところがあり、とりわけ異性に関しては引っ込み思案だった。もっとも、だからと言って異性への関心が淡いというわけではなく、むしろ強い方であったかもしれない。ただ、それを表に出さない力がより強いだけだった。そして、仮に女が自分の顔を注視したとすれば、それはもっぱら自分のあばたのせいだろうと理解するような性質だった。
橋の上の若い女は、それまでの歩みを停めることはなかったが、心持ちその速度は遅められ、その一瞬、ゆっくりとした動きの中で意識的にわずかに腰をかがめたのか、あるいは単にそう見えなくもなかったという程度の偶然の身のこなしだったのか、男たちには判断のつかぬ内にまたもとの歩みに戻り、それから小さな石橋を渡りきって根津の通りの方に去っていった。
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