2005年05月号 掲載
旧金比羅大芝居
- 旧金比羅大芝居(通称金丸座内部) -
高松に行ったとき、金比羅さんに参詣した帰りに、初めて、現存する日本最古の劇場で国の重要文化財に指定されている「旧金比羅大芝居」、通称金丸座を訪ねた。 本殿にお詣りした後、急いで表参道を大門まで下り、そのすぐ先の脇道を右に入った。 崩れ落ちた民家に咲きこぼれた藤の花を眺めながら、道標にしたがって民家の間の道を下る。 山裾にそって再び道を上がり、そこから少し下がるとすぐそこに、大きな金丸座の屋根が見えた。 日が長くなってはいるが、時刻は夕方五時に近く、見学時間の刻限がぎりぎりであった。 果たして内部を見せてもらえるものかと危ぶんだが、受付の男の人は、にっこりして、早く行きなさいと親切に言ってくれた。
- 金比羅さんの大門。ここからが境内 -
江戸時代、各地の大寺社の境内地は法会・開帳・祭礼などの際には一大祝祭空間となるのが常であった。 金比羅大権現の別当職金光院は、富くじ(宝くじのようなもの)を許可し、遊女街を認め、金比羅大芝居を保護して、寺社を豊かにする経営を行った。 三月、六月、十月と年三回の「市立ち」の日には、金比羅権現の門前町は大いに賑わい、金比羅大芝居は江戸、大坂、京都の三都の大芝居につづく規模の芝居として全国に知られるようになった。 そして、天保六年(一八三五年)には藩の認可を得て、「金比羅大芝居」が、粗末な掛け小屋から「富くじ」の開札場を兼ねた、瓦葺きの常小屋に建て替えられた。 明治以後は、曲折を経て、今は、内装も含め、ほぼ天保当時のままの姿に復元されている。 特に、平成十五年に行われた耐震補強を目的とした大改修では、歌舞伎の演目の中で役者の動きに合わせて裏方が客席に紙吹雪などを降らしたり、提灯や暗幕などを吊るすのに使われる「ブドウ棚」や、役者を宙に浮かせて、花道の上を移動させるための「かけすじ」まで復元された。
- 脇道の民家と藤 -
江戸時代に作られた芝居は、江戸の劇場が最盛期を迎えた時期の規模と様式を忠実に伝える芝居小屋で上演されるのがいちばんふさわしいと言われる。 実際、昭和六十年から、この劇場を使って始まった「四国こんぴら歌舞伎大芝居」の人気は回を重ねるごとに鰻登りである。
頭をぶつけそうな低く狭い「鼠木戸」をくぐり、小屋の中に入った。 急いで一通り、中を一巡しただけであったが、生きた江戸の芝居小屋の迫力に圧倒されてしまった。 次にはここで演じられる歌舞伎を見てみたいものだと心から思った。
※参考 私は、服部幸雄著「大いなる小屋 江戸歌舞伎の祝祭空間」(平凡社刊)中の「讃州金比羅大芝居訪問記」の導きで場内を見たため、短時間ではあったが、得るところが大きかった。