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2003年10月号 掲載
松村正恒氏の江戸岡小学校について
 
福田展淳(北九州市立大学国際環境工学部助教授・工学博士)

江戸岡小学校校舎、軽やかに見せる工夫
 建築を訪ねるときには、いつも、作者はどうしてこのような設計をしているのだろうかと考える。建築設計を学び、志したものなら誰もが持つ感情であろう。その建物がすばらしければ、すばらしいほど、背後に見えかくれする設計者の思いやりや優しさ、意図や苦心、はては、癖や好みまで感じ取られ、やがて、それは設計者の信念や哲学に通じ、出会ったこともない名手とその建物を通じ、快い談笑を交わしているような気がしてくる。空間を眺めながらある時は心の底から感銘を受け、ある時は元気づけられ、見えない作者に「すごいですね」とか「楽しいですね」などと心の中で話し掛けている。
 建築稼・松村正恒氏の学校作品はどれも、空間の隅々が、今は他界された氏の人柄を彷彿させ、意匠のさりげなさとは裏腹に建築を設計する人間はどうあるべきかを熱心に教えてくれる素敵な作品であった。松村氏がこのような建物を 創り得たのには当然の訳がある。
 「わたしは、小学校をつくるとき、まず子どもになったつもりでプランを考えはじめるのです。マルローの空想美術館にならって空想の学校を思い浮かべる。布団の中で目をつむる、子どもに変身する、童心にかえる学校の中を走り回る、座ってみる、変化と感動を探りだす。決められた敷地が蘇って学校のかたちがが現れる。歓声が聞こえてきます。」
 どんな建築家も小学校を設計するならば子供のことを考えるのは当然である。松村氏の学校作品がその中でもぬきんでて優れているのは、氏の人並みはずれた空想力と子供への思いやりのためであろう。
 学生の頃熱中したのは、児童保護問題。日比谷図書館に足繁く通い、毎日閉館まで、司法浪人と肩を並べた。学生最後のディプロマ(卒業設計)は、「子どもの家」、秀逸の小学校を設計する素地は既に学生時代に養われていた。研究熱心な氏は、八幡浜市役所に入っても外国雑誌を購読し、「相談相手もなく孤独な地方の暮らしには外国雑誌は親しい友の代りをした。」と述懐している。また、ヨーロッパのデザイン芸術運動の拠点となったバウハウスの開祖グロピウスの「生活空間の創造」を下訳している。このような背景があったからこそ、地方都市であっても優れた木造による 独自のインターナショナルスタイルを展開させることができたのだろう。
 一九五三年の江戸岡小学校では、長谷小学校の両面採光の工夫が二階建ての建物にも応用され、松村氏は「私が何年もかかって解決した両面採光の決定版」と述べている。断面でも分かる通り、従来の教室は、外に面する側は、光を充分取り入れることができるが、廊下側は、廊下に入ってくる光を二次的に教室内に取り入れることになる。従って、必然的に廊下の幅は、制限される。廊下の幅が広がればそれだけ、教室の光の量は少なくなる。
 松村氏は両面採光を取り入れることによって一階廊下の幅を広げ、各教室の横に充分な広さを持つ下駄箱のホールを付けた。またこのホールにも天井から光を落としているため、下駄箱ホールは、低い天井でも充分明るい。

一本足ですっくと立つ物置き

両面採光の廊下と靴箱
 廊下に沿って下駄箱が並んでいるため子供達は靴をはきかえると直ぐに教室に入ることができる。
 三面をガラス窓の壁で覆われた階段ホールは、江戸岡小学校の最も素敵な空間である。蹴上げが短い緩やかな階段は、ただ登りやすいだけではなく、この階段室を豊かにする大切な要素である。緩やかさは、視点の低い子供には、視界が開け開放的である。また、踏み面が長く段数が多くなるため通常の小学校の階段室よりも格段に広く大きな空間である。さらに、階段ホールは、踊り場を挟んで登る階段と降りる階段の間に吹き抜けを設けているため、空間がより立体的となる。これらに加え広い踊り場にベンチが置かれ、ここが、ただ単に上下の移動のための空間ではなく、子供達が集い楽しむ空間となることが強く意識されている。窓から入ってくる光の下で、紡錘状の柔らかい線で構成された手すりが落とす無数の影々。階段や床の上でそれらが静かに重なり合う。ここは、まるで子供達の舞台装置のようである。
 松村氏のデザインには「軽くみせる」という意図がある。下駄箱ホールを支える鉄柱は細く、渡り廊下の屋根を支える同じ柱にも細い方杖が付けられ、軽やかである。運動場から建物を眺めると、ガラスの透明な壁が二階の床や屋根を支えているように見え軽快な印象を受ける。これは柱をガラス窓の内側に配置し、外側には細い縦材だけを露出させるディテールのためである。外からは太い柱は隠れ、細い縦線とガラスだけが強調されている。このディテールは、廊下と教室とを挟む通風用の引き戸にも見られ、細い枠に収まった戸が面の整然としたイメージを与えている。
 松村氏は、著書『老建築稼の歩んだ道』の中で、「居は気を移す」という孟子の言葉を引用し、「住まいと周りの状況が、住む人の性格をしらず、しらずのうちに変えていく」「道を歩いていて子どもに出会うとどんな家に住みどんな暮らしをし、どんな人間に育っていくのだろうと思う」と述べている。これらの小学校には、隅々まで作者の愛情が溢れ、子どもたちへのこまやかな気遣いと深い配慮、そしてローコストでもよいものをつくろうとする力強い情熱が見受けられる。それは、松村氏には、小学校が自分の住む家に次いで、あるいはそれ以上に子どもたちの一生に深く根を下ろす「大切な器」との信念があったからであろう。

江戸岡小学校は近く解体され新築される。
 母親の愛情は、子どもにとっては、空気のような存在でそれが無いなどとは考えられない。子どもにとっては、住宅や学校などの建築も同じくあって当然の空気のようなものである。建築も同じくあって当然の空気のようなものである。しかし、その空気が新鮮で澄んでいるか、濁っているかで、子どもの将来は著しく変わる。
 松村氏の一連の学校建築は、いま、建て替えの時期を迎えている。建築にはもともと寿命があり、時代の要請に合わせ新しく生まれ変わるのが当然である。建て替えられる次の建物がどれほどすばらしい建築となるであろうか。松村氏の建築がこの地で新たな名建築を生む端緒となることを切に願う。