2003年08月号 掲載
麦味噌とじゃこ天
岩田三代 (日本経済新聞社 生活情報部長)
八幡浜市の天ぷら店
ふるさと愛媛をはなれて三十年。根が食いしん坊にできているのか、懐かしく、しかも年経るごとにいとおしく思うのは、愛媛の食材だ。今も川内町に両親が健在で、一年二、三回は帰郷するが、昔何気なく食べていた物に妙に感激したりする。先日も短い夏休みを取って帰ってきた。年老いた親が暮らす家では、毎食がまさにスローフード。父が小さな畑で作る野菜を料理し瀬戸内の魚を煮たり焼いたり。近くのスーパーに出かけて、食料品売り場をぶらついていると東京ではお目にかかれない大きな丸あじや生きのいいさばが並び、地物のたこが一匹丸のままパックに入れられていたりする。東京の上品なピンクではない、本当にこれぞ桃色というどぎついピンク色のかまぼこは、小さい頃から私のお気に入り。母が四月のお節句にはこのかまぼこを花の形に細工して、花見弁当を作ってくれたものだ。そういえば、そのときに父は寒天でびっくり羊羹を作ってくれていた。
豆腐だってこちらのは大きくてずっしりとしている。今は店をたたんだが、十年前まで田舎の雑貨屋だった我が家は当然食料品も売っており、私が小学校のころには父が近くの豆腐屋からできたての湯気が出ている豆腐を井桁の木の箱にいれて持って帰った。十個が連なったそれを包丁で切って売っていたが、近所のおじいさんが我が家で皿を借り、しょうゆをかけてもらい一丁の豆腐を端から崩しながらおいしそうに食べていた光景をいまでも覚えている。そんなおいしい豆腐を食べて育ったせいか東京で水の中に入った穴だらけの豆腐を始めて買ったときには、少なからぬカルチャーショックを覚えた。
天井からぶらさがった大きな筒の中に入っていたのは長いバットのような焼き麩、正月前には緑や赤の美しいかまぼこが山と積まれ、私たちが「あげ」と呼んでいたのはノートよりも大きい乾燥した四角い油揚げ…。当時は不思議にも思わなかったが、どれもその後ほかの土地であまり見たことがない。懐かしい思い出とともにある愛媛の食材だ。
そんな中で、最近特に感激しているのが、麦味噌とじゃこ天のおいしさ。麦味噌は実は、全く意識せずに食べ続けてきた味で、愛媛が麦味噌なんて最近まで知らなかった。こちらで食べている味噌汁に比べるとなぜか愛媛の両親の家で食べる味噌汁は色が薄いし甘口だなあと思っていたところ、実はなんとそれが麦味噌であるということに気づいたのは、うかつにも数年前。そう言われて見てみると、愛媛のスーパーに並ぶのは各種麦味噌。色も黄色に近い茶で、ねっとりとしている。これで先日帰省していた時に、さばの味噌煮を作ったところ、みその味がさばに見事にからみあい、絶妙だった。
東宇和郡宇和町の豆腐店
じゃこ天は、最近全国区で知られてきて関東のスーパーにも並ぶようになった。私が小さいときはあえてじゃこ天と言わず「ヒラテン」と言っていた気がするが、これは牛蒡を中に入れた棒天などに対する言い方だったのだろうか。これを火鉢にかけた網でさっとあぶりそのままでおやつに、しょうゆをひとたらししてご飯のおかずにするのが小さい頃の記憶だが、今は三年前に亡くなった兄が「世界一おいしい」と言って送ってくれた御荘町の小さな店から取り寄せて堪能している。釣りが大好きだった兄が、妻の実家がある南予の海に出かける道すがら老夫婦が作るじゃこ天を見かけて買い求めたということで、私は一度も訪ねたことはないのだが、一枚四十二円の薄くて小ぶりのじゃこ天がなんとも言えずおいしい。数年前に職場の仲間にも食べさせようと会社あてに送ってもらい振舞ったところ、大評判。「またあれを取り寄せましょう」とのリクエストが相次ぎ今年は皆から注文をとり三百枚を送ってもらった。油を敷かないフライパンで軽く両面を焼き、熱々を食べる。日本酒によしご飯によし。カルシウムいっぱいで、健康にもいい。私のふるさと自慢の一品だ。
愛媛で生まれ、大学まで暮らしたにもかかわらず、なんの愛着も持たずさっさと都会にでてきてしまった「ふるさと不孝」の私だが、最近とみに愛媛県人としての自覚に目覚めている。そういえば、堀田建設が我が母校、愛媛大学キャンパスの工事をしていると聞いたが、大学の近くのカツどんのおいしかったあの食堂、今もあるのだろうか。(と、これまた食べ物に行き着いてしまうとは。それにしても女性でカツどんというのはいかになんでもと我ながら反省。もちろん、赤のれんのぜんざいやロンドンヤの宇治金時も食べました。)あれから三十年が過ぎたなんて信じられない思いだ。
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