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2001年01月号 掲載
本郷菊坂・鐙坂
 
文/井上 明久 画/藪野 健 

東大正門前のフルーツパーラー万定。
大正3年の創業。店内には竹久夢二のデッサンも掛けられている。 先代が昭和9年に購入した年代物のレジスターが現役で活躍している。
 『三四郎』を読み返している。何度目か、何十度目か判らない。ぼくの“本郷”は、『三四郎』で始まり、いつも『三四郎』へと還ってゆく。広田先生、美禰子、野々宮さん、與次郎、よし子、そして三四郎。ぼくはいくたび、彼等と共に、本郷の街を歩き、本郷の町で語らい、本郷の町に生きたことだろう。
 広田先生が住む西片町、三四郎が下宿する追分町、美禰子の家がある真砂町。東大を中心とするほぼ一キロメートルの半径の半円内に収まるこの地域の中に、ぼくの“本郷”は今も生き続けている。その中には、行きたい所、見たい所、味わいたい所があまりにも沢山あって、とても一度では行き尽くせない。だから何度でも、何十度でも繰り返し行くことになる。
 例えば、東大正門向かいの「万定」(ここの大正風の内装(つくり)の中で食べる大正風のカレーが美味だ)の角を入った突き当りの五叉路が見せてくれる、時代が何十年も戻ったような伸びやかでほんのりした広場の美しさはどうだろう。この五辻の左手の少し先には徳田秋声の旧宅が往時のままひっそりと残っているし、右手を行けば明治三十八年に作られ今なお現役の学生下宿「本郷館」が木造三階建の堂々たる偉容で迎えてくれる。
 あるいは、例えば菊坂を一本裏へ降りた下道を高い石垣に沿って行くと、急な勾配で迫り上がっている坂に出くわす。鐙坂だ。この坂は下から仰いでも、上から見渡しても深く胸を撃つ。その坂の中程に「鐙坂学問所」と書かれた古めかしい木の看板がかかっていて、そこを入れば樋口一葉が住んだ家があり、使った井戸が生きている。
 ぼくは、広田先生や悪友の與次郎と肩を並べながら、美禰子さんへの高まる想いを心に秘めて、現実でもあり夢でもある“本郷”という町の中を、三四郎のように歩いている。


木造3階建の下宿、本郷館。明治38年築。

一葉の住んだ家と井戸のある路地。