2000年12月号 掲載
負の場所に立ちつづける
栃木県足尾町
写真・文 有木 宏二
足尾町赤倉
鹿がいた
足尾製錬所。現在は精密機械の解体工場になっている。
足尾町通洞で
ぼくが足尾に通って写真を撮っていたころ、いきなり街頭の拡声器からサイレンが鳴りはじめ、「これから発砲するので入山者は注意するように」、というような趣旨の警告が何度かあった。ひどく驚いたが、目的のはっきりとした発砲で、一定数の鹿を射殺するための発砲だった。年々鹿の数が増え、彼らが貴重な草木を食べ散らかす、というのが主な理由であると耳にしたが、この発砲は、いうまでもなく足尾のかかえる矛盾がまねいてしまったものだ。亜硫酸ガスでひどく傷んだ山肌を修理するために、人間たちはヘリコプターを使ってまで種蒔きを敢行している一方、食べるもののほとんど無い足尾の鹿たちは、どんな小さな緑でも口にせざるをえない状況に追いこまれているのである。鹿の数と緑の量のバランスが大きく崩れた結果、鹿たちはまるで「害虫」のように扱われ、草木を護るという名目で射殺されている。たしか一〇〇頭は下らなかったと記憶する。
あるとき、渡良瀬川の源流にあたる松木沢で、冬の風景のなかに、一匹のニホンジカが顔を見せていたことがある。すかさずカメラを構えた瞬間、近くにいた一人の老人が、ぼくと同じ構えをした。鹿を介した身振りの一致というプリミティヴさは、お互いを引き寄せるきっかけとなったが、鹿の写真は撮れずじまいだった。その老人は、むかし足尾精練所に勤めていた人で、いまは年金生活者だが、若いときから撮りつづけてきた写真をいまもなおつづけている。老人はちょうど川を挟んで工場の真向かいにある自宅にぼくを誘い、長く撮りためていた写真を見せてくれた。老人が持ち出してくるのは、鹿を主題にしたものばかりで、しかも鹿について多くを語った。もちろん、工場を被写体とした殺伐たる足尾の風景が何枚となく箱詰めにされていた。
しかし、いまや、老人にとっては、むしろ鹿という、矛盾の狭間に生息するか弱い存在をつうじて、自分の生きてきた場所を確認する作業が大切になっているように、ぼくには感じられた。
夜闇にまぎれて、鹿たちは、みごとに澄んだ松木沢の水を飲みにやってくるという。明くる日には、銃弾に倒れるかもしれない鹿たちの姿を老人は、自分の中に疼く癒えない傷跡を見るかのように、大切に写しとっていたのかもしれない。
この負の場所に
立ちつづけて……。
足尾町赤倉の道祖神
ここで、子供の頃に立ち小便をしたのを詫びるために
毎日お参りを欠かさない老人に出会った。
足尾町小滝の中国人
労働者殉難碑
社宅の高い塀