2000年10月号 掲載
オペラは楽しい
あるひとつの出会いから
ヴェルディの『椿姫』はフェニーチェ劇場で初演された。初演100年後のポスター
イタリアを代表するオペラ劇場のひとつ、フェニーチェ劇場は1996年に焼失した。火災は今回が初めてではないが、そのたびに、フェニーチェ(不死鳥)の名の通りに甦ってきた。こんども又、ゆっくりと再建が進められていると聞く。
私は、焼ける何年か前に、フェニーチェ劇場を一度だけ訪れたことがある。訪れたことはあるが、オペラは観ていない。
その当時は、オペラというものに全く関心がなく、ちょうどフェニーチェ劇場に掛かっていたチレーアの歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」のチケットをもらったのに、すっぽかして、ヴェネチアの立ち飲み酒場の梯子に出かけてしまった。
ベネチアの迷宮のような路地を歩き、一杯飲んでは、イイダコの油漬けだとか、店ごとに違ったおいしいつまみを味わいながら、次ぎから次へと居酒屋を駆け巡る楽しみは何ものにも代え難い気がして、私は生きる歓びと、幸せな気分に満たされた。 上機嫌で酒場に案内してくれた先生と雑談をするうちに、フェニーチェをすっぽかした話をした。すると、一瞬、先生の顔におまえは何というばかなやつなんだという表情が浮かんだ。そのことは、いまでもハッキリと憶えている。しかし、実際のところ、私は言わば縁なき衆生であり、何の後悔も痛痒も感じなかった。その翌日、私は、もう1度親切にすすめてくれた音楽好きの知人に案内してもらってフェニーチェ劇場に出かけた。スペインの有名なメゾソプラノ歌手テレサ・ベルガンツァの歌曲の夕べだった。建物の優美さやベルガンツァの歌に少しの感銘は受けた。私たちは近くのリストランテで食事をして「よかったね」などとあまり力の入らない言葉を交しながらホテルに帰った。
愚かな私が、歌劇場でオペラを観るのと歌曲を聴くのでは、感動の様相が異なることに思い到ったのは、後にミラノのスカラ座でプッチーニの『ラ・ボエーム』を見た時だった。とりわけ第2幕、パリのクリスマスの雑踏の再現には度肝を抜かれ、オペラというものに、たかをくくっていた私は打ちのめされた。
理屈ではなく、また言葉や音楽がわかるとかわからないとかいうことではなかった。ただ舞台を観ているだけで居酒屋巡りと同じ次元の生きる歓びを感じ、さらに、深く圧倒的な感動がおそってきた。イタリア人のオペラにかける意気込みが神々しいものに思え、あの美しいフェニーチェ劇場でオペラをすっぽかした自分をのろったのである。オペラは観ても聴いても楽しいものだった。