2000年09月号 掲載
<新居浜市>広瀬歴史記念館を見る
広瀬歴史記念館の展示館 平成9年完成。
設計は日建設計
新居浜市上原二丁目の新居浜市立広瀬歴史記念館を訪ねた。広瀬宰平は文政十一年(一八二八年)近江国(滋賀県)生まれ。幕末明治の動乱期に政府の接収や住友の経営難による売却から別子銅山を守り、鉱山の近代化を推進した人。住友家の総理事となり大阪商船会社など多くの会社を起こした。この展示館には広瀬の生い立ちから人格形成、別子銅山経営近代化のすべてにわたる展示がある他、「国益」産業の担い手、政商として活躍した広瀬の交友関係を示す来簡の展示もある。
明治中期に建てられた広瀬旧邸の和風建築も和室の暖炉や洋風便器、輸入ガラスの多用など細部に洋風が見えて面白い。
最近、住友の別子銅山経営者の中では、自然環境に配慮した施策をいち早く講じた伊庭貞剛の人気が高いというが、新居浜市民の広瀬に対するただならぬ敬慕の思いに触れることができる施設である。
乗松巌作の広瀬宰平銅像
戦時に供出された高村光雲らのものに比べ表情が柔和で甘い
避雷針と望遠楼
乗松巌作の広瀬宰平銅像
戦時に供出された高村光雲らのものに比べ表情が柔和で甘い
明治39年頃に整備された南側の煉瓦塀(左)
積み方は明治22年(下)のものより粗い。
広瀬旧邸
住友が新田開発に失敗した跡地を贈与され明治8年から10年末の3ヶ年をかけ、
母屋と製茶工場を新築した。その後、明治19年に金子村の本邸の大半を移築接続した他、
明治20年頃棟梁八木甚兵衛らに相談して新屋敷の増築をはじめ明治22年4月に完成。
煉瓦塀などの整備の完成は明治23年頃という。
煉瓦造の馨原文庫
(けいげんぶんこ)
大正10年頃完成。
宰平の長女つや子に迎えた婿養子河原次郎の書庫として完成。
茶の間の暖炉
宰平は寒がりだったという。
台所
北側、邸正面を飾る煉瓦塀
つくばい
京都大徳寺高桐院と同形