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1999年11月号 掲載
詩書特集 21世紀は生物学の世紀
『ダーウィン先生地球航海記』 を読む
武蔵大学人文学部教授<生物学>丸橋珠樹


 二千年まであと六十日足らずです。二十世紀は化学と物理学の時代、別の意味では、毒ガスと核兵器を作り出した戦争の世紀とも言われています。では、二十一世紀はと問われると、自然科学者たちは、誰しもが生物学の世紀と答えるでしょう。
 二十一世紀に私たちは何を手に入れ、人類の知の地平はどこへ拡がるのでしょうか。ヒトとは何か?を科学の原理で語ることができるようになるのでしょうか?三億文字のヒトDNA遺伝情報の全解析は、ここ数年で終わります。脳、発生、病気、クローン、進化、生物多様性、‥‥。生物学のフロンティアーは無限とも思えるほどです。

図版が豊富
 ダーウィンは、生物の進化メカニズムは、自然選択であると「種の起源」(一八五九年)を著しました。創造主が創った種は不変という考えが支配していた時代に、生物と生物の関係、生物と環境との関係だけが種を変化させる原動力だと論証したのです。彼がこの着想を得たのが、軍艦ビーグル号による、一九三一年から五年間にもわたる世界周回航海でした。
 出発時に、若き艦長フィッツロイは二十六才、ダーウィンは大学を出たばかりの二十二才でした。艦長は、長い航海の話し相手も兼ねて、博物学の若手研究者を探していました。一方、ダーウィンは、聖職者になろうと心に決めていましたが、若い間に長い旅に出かけたいと思っていました。ダーウィンの指導教授が、彼を艦長に推薦したのです。
「いつ死ぬやもしれぬ、それも給料なしの探検旅行に出かけて、放浪癖でもついたら、一生ろくな仕事に就くこともできない。ダメだ」と父には、反対されてしまいました。がっくりして、気晴らしに母方のおじさんを訪ねて話をしていると、「人には一生に一度、チャンスに賭けるときがやってくる。この旅行は、そのチャンスかもしれない。お父さんを説得してあげよう」と、その足でダーウィンの父を何時間もかけて説き伏せてくれたのでした。
 この航海と一冊の本「地質学の原理」(ライエル著)が彼を変えてしまいました。南米大陸の奇妙な生物化石群、ガラパゴス諸島の島ごとに変わる生物たち、様々な文化をもった民族……。生物種は、ひょっとしたら、ヒトさえも不変ではないのではと気づいたのです。キリストの教えを裏切る、怖ろしい着想でした。
 ダーウィンに、「種の起源」を出版させたのは、一通の手紙でした。航海後、二十三年間もの長い年月、彼は生物学上の証拠を慎重に集め続けていました。自然選択説を考えつく人が自分より他にいるはずがないと考えていたのです。ダーウィンはもう五十才でした。

親も子も楽しめる
 ところが、インドネシアの多島海で標本を採集し、売る商いをしていた三十五才のウォーレスから、ダーウィンが考えてきた自然選択説と全く同じ内容の論文が送られてきたのです。ウォーレスの論文は、訪れる島ごとに採集する生物が変化し、数十キロしか離れていないバリ島とロンボク島を境に、全く違う生物群が現れることなどのフィールドでの観察と分析にもとづいたものでした。彼は、自然選択説に全く独立して到達し、論文を彼が尊敬するダーウィンへ送り、学術雑誌に発表してくれるように依頼したきたのです。結局二人の連名で自然選択説が論文として刊行されました。生物学史上、最大のドラマです。
 この本は、五巻の大冊ですが、原著の「ビーグル号航海記」にはないたくさんの図版とイラストが付け加えられ、著者の解説、ダーウィンの本文とが入り交じって、まるでホームページのようです。図版の説明を拾い読みするだけでも、一八三〇年の世界を探険しているような感動が得られます。親も子も楽しめる本、間違いなしです。どの子にも、「迷ったときには、チャンスに賭けろ」、ダーウインやウォーレスのように旅に出ようと言ってやりましょう。

『ダーウィン先生地球航海記』全5巻セット
C.ダーウィン=著 荒俣宏=訳 平凡社刊
【定価本体7,280円 A5判 平均265頁】


ダーウィンの『ビーグル号航海記』を荒俣宏が子どもから大人まで楽しんで読めるように新たに翻訳して、 丁寧な解説をつけた。美しい博物画が豊富に収録されている。
関連図書:『種の起源をもとめて-ウォーレスの「マレー諸島」探検』 新妻昭夫著、朝日新聞社、1997年。