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1999年05月号 掲載
モダニズムの先駆者ルドゥー
 
クロード・ニコラ・ルドゥー(1736-1806)著 『芸術、風俗、法制との関係の下に考察された建築』 【第一巻、パリ、1804年初版】及びダニエル・ラメー編『C.N.ルドゥーの建築』【全二巻、パリ、1847年初版】について


金沢工業大学ライブラリーセンター館長 竺 覚暁

金沢工業大学ライブラリーセンター
工学系の図書館としては世界有数の図書館。 グーテンベルク以降、出版流通した、主要な科学的発見、技術的発明の原典初版のコレクション 「工学の曙」文庫は我が国、唯一最高のものとして夙に知られる。
 金沢工業大学には、偶然にも本誌と同じ名を持つ通称「曙」文庫と呼ばれる特別コレクションがある。正式には「工学の曙(The Dawn of Science and Technology)」文庫という名のこのコレクションは、その名が示す様に、1450年頃のグーテンベルグの印刷術発明以降現在までに出版された主要科学技術書、科学や技術を築いて来た歴史的に重要な書物の初版本を集めたコレクションである。アリストテレス、ユークリッド、アルキメデス、コペルニクス、ケプラー、ガリレオ、ニュートン、アインシュタインなどの著作初版を含むこの文庫は、体系的な科学技術稀覯書コレクションとしては我が国唯一のものである。
 もちろんこのコレクションには建築書もウィトルウィウス、アルベルティ、パラーディオの著作など多数含まれているが、ここでは、我が国では唯一本文庫にあるのみというルドゥーの著作初版を紹介したい。
 ルドゥーはフランス革命期に生きた特異な建築家である。はじめ銅版画家を志したが建築に興味を持ち、当時の指導的建築家ジャック=フランソワ・ブロンデルの弟子となった。当時のヨーロッパ主流の建築のデザインは新古典主義であり、古代ギリシア・ローマの考古学的に正確に復元された古典建築様式の意匠を組み合わせて如何に美しく建築を飾るか、また古代建築を美しく模すかがそのデザインの主題であった。彼の良く均整のとれた端正な新古典主義的デザインは1760年代初期から評判になり、貴族の邸宅を多く手掛け、当時最も嘱望された建築家のひとりとなった。1771年、ルドゥーはフランシュ=コンテ地方の王立製塩工場の監督官に任命された。政府はもっと効率良く製塩する為に、個々の塩泉での製塩を止め、塩泉の塩水をダクトで集めて流し、一箇所に集中して大規模な製塩工場を作ることとし、その計画をルドゥーに発注したのである。アルクとスナンという小村の間に建てられたこのショーと呼ばれる製塩工場と言うより製塩都市(1774-1779)は彼の代表作となり、現在では彼は殆どこの作品によってのみ記憶されていると言ってよい。

ルドゥー、クロード=ニコラ
「ショーの理想都市」の鳥瞰図
(『芸術、風俗、法制との関係の下に考察された建築』
金沢工業大学「工学の曙」文庫所蔵より)
 現実のショーは製塩工場と「支配人の家」、「書記の家」、「労働者の家」、「樽屋の家」、「蹄鉄工の家」 など部分的にしか実現されなかったが、職業と結びついたシンボリスムのデザインをはじめ、ルドゥーの言う 「太陽の描く軌道の様に純粋な円」形プランの全体計画など、理想社会、理想コミュニティの観念と結びついた 純粋形態のシンボリスムが至るところに見てとれる。
 彼のパリにおける最も重要な仕事はパリの市門の計画であった。当時のパリでは市内に持ち込む商品には持込税を課していたが、これを洩れなく徴税する為に、パリを囲む城壁の要所60箇所に開けられた門からのみ住民や旅行者、商人の出入りを許すことにしたのである。この徴税所を兼ねた市門の設計がルドゥーに依頼されたのであった。彼はこれらの市門を極めて壮麗、豪華なものにしようとしたので、工費は急速に増大し、節約を望む予算担当者の要求を全く顧慮しなかったので、1789年、彼は解任されるのである。現在この市門は四つ位しか残っていない。
 次いで彼はエクス・アン・プロヴァンスで裁判所など一連の司法行政の為の建築計画を依頼された。この計画は1785年には出来上がっていたがなかなか実施されず、1789年に勃発したフランス革命によってついに計画そのものが中止されてしまった。
 フランス革命はまた彼の運命を大きく変えた。1793年、王党派と目された彼は投獄されてしまう。人違いによるものであったが、すんでのところでギロチンに掛かるところだった。テルミドールの反動のとき、娘たちの嘆願で釈放されたものの仕事はなく、また、旧体制、アンシャン・レジームからそれまでにやった仕事の報酬を受け取る望みも絶たれてしまっていた。更にナポレオン時代にも彼の登用はなかったのである。
 しかし、失意の中でもなお、彼は自分の建築思想、建築デザインを世の中に主張することを止めなかった。現実に建てられないのであれば、自分がこれまで行った設計案やこれからやってみたい設計案などを集めた書物をつくり、それを公刊して世に問いたいと考えたのである。
 元々銅版画家だった彼は1780年頃から自分の作品の版を起こしていた様である。彼は全部で五巻の書物として出版することを考え、その第一巻として出来上がったのが上掲の一番目の書物である。しかし、この書物の出版の引き受け手はなく、自費出版をせざるを得ず、この出版によって彼の財産は使い果たされてしまった。第一巻を出版後2年して、ルドゥーは失意のうちに死ぬのである。

ルドゥーの書と竺覚暁館長
金沢工業大学建築学科教授、工学博士。専門は建築論、西洋建築史、 近代建築史、科学技術史。著書『建築の誕生』(中央公論美術出版)など。   (金沢工業大学「工学の曙」文庫にて)
 未刊に終わった後の四巻の銅版画の版は弟子に残されたが、曲折をへて、結局、ダニエル・ラメーの手で、上掲二番目の書物として43年後に出版されたのであった。
 ルドゥーは、彼の作品ばかりでなく建築論も本書に収めている。彼によれば、建築には、政治も、道徳も、法律も、宗教も、総てが含まれると言う。換言すれば、それらは、総て建築の原動力であり、従って建築は社会組織の理想を体現するものとして作られねばならないと言うのである。
 彼は、本書をショーの計画から始めているが、この製塩都市こそ彼の建築的理想を体現するものだった。それは、製塩工場だけでなく、神殿や教会堂や学校、銀行、市場、病院、労働者住宅から、墓場に至るまでを含む完全なる都市、人間の美徳が実現される理想都市だったのである。彼はこうした理想的社会状態を建築を通じて実現出来ると考えたのだった。建築によって実現される、ルソーの思想に基づいたフーリエ的なユートピアが彼の理想だったのである。
 その意味ではルドゥーは、建築デザインや都市計画は、理想の生活、理想の都市に向けて創造されるべきであり、また建築や都市計画は社会改革の手段たり得ると信じたモダニズムの先駆者であったとも言えるであろう。
 彼は、フランス革命の為にすべてを失ったのだが、皮肉にも建築的には、その革命が目指したところの実現を夢想した当時、唯一の建築家であった。そのことを証言しているのが正に本書なのである。