1997年11月号 掲載
小田町 鏝絵の元祖 正木 長平衛
 

 正木長兵衛(戸籍では長衛)は明治三年に内子で生まれ、昭和二十九年に小田町大字町村で亡くなった。小田の人々は今なお、その左官仕事の素晴らしさや技の冴えをよく記憶している。酒蔵に長兵衛が描いた鶏の鏝絵がある町村の都築酒店ご当主都築芳郎さんは「長兵衛さんは、大正十一年生まれの私が小学校二年生か三年生頃に六十歳ぐらいじゃったな。ウチは昔は酒を造りよったんやが、長兵衛さんは米を炊く大釜の炉をつくる名人やった。長兵衛さんの炉は他の人がやったのより、ずっと火のまわりがよかった」と話された。正木長兵衛の家があったのは小田町役場の近く、今の本田商店の場所である。長兵衛は小田町内で何度か住まいを移した後、ここに自分が住む家を建てたという。その家は建て替えられて、もう見ることはできないが、本田公孝さんと公子さんによれば、二階雨戸の戸袋にしっぽを建てた虎の見事な鏝絵があったそうだ。

小田町寺村 上木家の虎。
波形は火よけ。(明治後期)

都築酒店酒蔵の鶏
(大正5年頃)


昭和7年のお盆に数えで63歳の長兵衛が生まれ故郷内子の高昌寺にたてた先祖代々供養の石仏。 台座に正木長平とあるのが長兵衛のこと。わずか7歳で内子の生家を離れた長兵衛は、 孫娘の操さんに先祖の供養の大切さをよく諭されたそうだ。






小田町町村の堂山(下)と正木長兵衛の寄進した48番札所西林寺の石仏。 本田公子さんが、堂山大師に長兵衛の寄進した石仏があることを教えて下さった。 長兵衛は信心深く温かい人柄であった。